取り戻せ語彙力

ちかごろ語彙力の低下を感じるためにリハビリと修行と暇つぶしと現実逃避のためにやってみんとしてするなり

ひさびさに酩酊した記録

いろいろあってひさびさに酩酊するほどお酒を飲んで帰ってきまして。

帰巣本能は高いため、どこまで酔いが進んでいても帰ろうと決めたらキチンとベッドまではたどり着けるタイプです。

しかしながら自宅に帰りつくまでが限界でそのままベッドに転がり動けずに数時間寝ているような寝ていないような状態で電気も消さずに意識が飛んだり戻ったり、そうこうしている間に学生時代まで記憶が飛んだり戻ったり。

夢か現かわからないままかの人と話をしたり単なるフラッシュバックだったりが巡っていき、ああアルコールって幻覚作用もあるんだな、と感じたりしなかったり。

かつてのどうでもいい日々がいまになって幸せな日々だったのだと思えたり、単によかった思い出だけをなぞっているだけだったり。

判別はつかないのだけど、酔いが覚めて目も覚めて、胸の内に残るのは、あのことはよかったなぁ、という気持ちで。

あまりパッとしない最近だけど、よかったよなぁ、と思える過ごし方もできていたんだなと気持ちよくも思ったり。

これからも良いことが起こるといいなぁ、としばらく酒を控えようと思う。

映画「ロケットマン」を観た。なんでそうなるの?キラーチューンばかりだ。

外出自粛で映画館も自粛なのでAmazonプライムに観ようともって観に行き損ねていたロケットマンが来ていたので観たのでした。

そもそもは主演がキングスマンタロン・エガートンとのことで、キングスマンゴールデンサークルの公開ごろに予告編がやっていただかで興味を持っていた気がします。
いや、ボヘミアンラプソディーの公開のころだったかな?
そうです、ミュージシャンの自伝映画ということです。
題材になったのは、エルトン・ジョン

正直あまり詳しくなくて、それこそキングスマンゴールデンサークルに本人が本人役で登場した際に歌唱してくれた、Saturday Night’s Alright (For Fighting)で(劇中では木曜日だったけど)で、ようやく認識があった程度だったんだけども、いやこれがすごいかっこいいんだ。
そこから気にしていたところで、タロン・エガートンが演ってくれるというならば観るしかないといった感じでいたのに劇場公開は逃しましたね。不思議です。

この辺から中身について?

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死に場所を燻し出す。

いつまで休日なんだっけ?出勤日なんだっけ?そもそも働いていたんだっけ?
そんな錯覚も生じ始めた連休四日目。
木曜日からまともに働けるのでしょうかね?

外出自粛だし、やれることといえば家事くらい。
では普段やらないほうをやろうということになり、キャンプもいけないので燻製器を引っ張り出して、普段は時間もあるし温燻ばっかりだったのだけど、いつかは熱燻に切り替えてスピーディにぱっぱと作れるようになりたいな、とじゃあいつやるのか?
いまかな…、と普段はスモークウッドに点火して黙々と待つことにしていましたが、今回は燻製をカセットコンロに乗せまして、スモークチップでもくもくといぶしてみようとしました。

が、なかなか煙が出ないなぁと不安げに眺めていましたら景気よく発火しまして写メ何回か撮った後に再度発火したので、チップは諦めていつも通りにウッドで頑張ることにしましたとさ。
火力調整がうまくいかず、チーズはそこまでうまくいきませんでしたが、味玉とベーコンと柿ピーがそこそこうまくいったのでヨシとしました。

普段あまり料理をしないのは代わりにやってくれる人がいるからで、そこが甘えか遠慮かというと間違いなく甘えなんですが、プライドもあるかな、とお願いしている部分が多いんですが、たまにはいいかなと頑張ったのが今日です。
燻製だけだとあれなので、不意に言われた、よだれ鶏のレシピが意外に簡単だったので降りしきる雨の中、材料を仕入れて調理するなどしました。
日常の家事というのはそもそもやってくれる人がいると甘えるばかりで代わりにやろうとすると釘を刺されたり想定上にダメ出しをされたりで下手に手を出さなきゃよかったなぁ、とおそらくは双方向にコミュニケーションが下手なんだろうなと思うんだけど、その辺の努力を怠ってきたから仕方ないね。

コミュニケーションが下手というのはいろんな側面があるけど、基本的には自分の話をする・人の話を聞く、そのバランスだと思うんだけど、自分の話しかしなくて他人の話を聞かないタイプのコミュ障はあんまりやり玉にあげられない気がするんですよね。
一見するとまともにコミュニケーションしているように見えるからね。
うるさいからほっとかれていることも多く思う。
そういうひとと話すと本当に疲れますからね。
何とかかかわらずにいたいがこれがなかなか声がでかい分だけ行動力があるから接触せざる得ない世の中。

仕事が始まると不特定多数の人間とかかわざるを得ず、それがいまからとてもいや。
休み明けナイデ!でも給与は支給して!
これがなぜか許されないんですね。
不思議ですね。

勘違いとか思い込みとかについてハッと気づくときがあるとかないとか。

すっかり暑くなってきて夏の香りがしてきましたが世は自粛、緊急事態ということで、開放的に感じる気候に対して開放的に行動できないことに焦りとか悔しさとかそういったものを感じますね。
そうでもないかも。

さて、趣味というものがあってそのおかげで人の個性が成り立っている。
一昔前、24時間働けますか?、というキャッチコピーがはやったころはとにもかくにも働いて働き続けて稼いで稼ぎ続けることが美徳だったようだけど、いろいろと効率化が進んだ反動もあってわかりやすく稼ぐ方法というのは潰えてしまって、ほどほどに仕事をして余暇に趣味を楽しむことが美徳となってきた。
少なくとも僕の手の届く範囲では、だ。

遊ぶ金欲しさに労働に手を染める。

インターネットにおけるジョークの一つなわけだけど、なかなかに的を得た言葉だ。
仕事=趣味なんてひとは僕の観測範囲ではそんなにいないんだ。
クリエイティブ職だとまた違うんだろうけども、そういうひとだって仕事と趣味は分けているはず、だ。

それはそれとして趣味について。

一つの事柄に熱中すると熱中しすぎると、マニアだとかオタクだとか、言われることがある。
何の因果か、そういった言葉はネガティブな印象を僕は持っていて、おおっぴらに自分が〇〇マニアだとか××オタクだとか吹聴できずに過ごしていた。
なにか恥ずかしく感じていたということもあるし、実際には自分が何の分野にも詳しくないとわかっていたから名乗れずにいたのかもしれない。
分野や物事に対する劣等感だったのかビビっていたのか、論じて看破されたこともないのに論じることすら恐れていたのではないか。
そうこうして三十余年あまり生きてみるとなんとも半端な人間だなぁと少しく悲しみを覚えたり。

まあそれはいいんだ。

僕自身は人に感化されやすく素直に受け入れすぎてしまう部分もあるから、趣味といえるものにはいろいろ手を出している。出しすぎている。
そういったさまざまな趣味の中で、自分発信で続いているものというと、読書・特に漫画、音楽鑑賞・特に邦ロック、ということになる。
趣味に優先順位などなくて、どれも大事にしてればいいんだけど、無意識に順位付けをしていて、僕は僕自身のことを、音楽好きの漫画オタクと認識していた。

ところがところがところがだ。

自分の行動を顧みるにつれ、行動力・資力・時間を費やしているのは音楽ではないのか!?とふと思い至ったのだった。

それがなにか重要なのか?
まったく重要なことはない。
僕個人の個人的な勘違いか思い込み。
それについての解が急に出てきてしまったから備忘録としてここに残しておこうとしただけ。
ただそれだけのことなんだけど、ここ10年以上自分のことを勘違いしていたな、と衝撃を受けたのでした。

自分自身のことすらわからずに他人のことなんて理解できないのだろうな。
なんてね。

いつの間にかに5月を迎えていたよね。自粛続きで滅入っている。

3月に記事を書けなかったと投稿した前回の記事が4月唯一の記事になってしまって、原因は何かな?と考えるとどうぶつの森を買ってしまったことだろうな、と合点がいったところです。

世間は緊急事態宣言に伴う外出自粛状態で、こんなフィクションの中の出来事ような世界に自分が放り込まれることになろうとは夢にも思っていなくて、いや夢には思っていたけども現実になってみるとこんなにも不都合で不利益で不安に陥ってしまうのだと、虚空を眺めて過ごし時間が増えてしまいましたね。

以前より、予てから、遡りますると中学生ごろから暇が欲しい暇が欲しいと思い詰めることが時々ありまして、一歩引いてみればものすごく暇な時期もチラホラとあったわkですが、いざ願っていた暇が訪れるとなにをできるわけでもなくただただ時間を浪費をしてしまうだけで、あっという間に忙しい日常に舞い戻ってしまうわけです。
そんな人生を細々続けていたところに舞い込んだ現在です。

さて、学生さんはわかりやすく休校で本当に暇を持て余してしまっているだろうし、かといって遊び惚けるにも行動に制限がかかるし金銭的な制限はもっと強いし、つまるところは勉強くらいしかできることがないかもしれないけど、それをしたところでどの段階で活かせるかがわからないし、自学自習だなんてよっぽどまっすぐな熱意がなければなかなか続かないものですから本当に途方に暮れているんじゃないかと。
僕自身は言われた勉強は素直にするけど、それは人の目がある場所だから、半ば強制的だから、そういったときしか発揮できないものですから、学力で言うと塾に通っていた中学生のときはそこそこだったけども、高校進学して塾通いがなくなると授業くらいでしか真面目に勉強しないし授業だけで完璧に物事を理解できるような頭でもなかったからそこそこに学力については低空飛行していましたね。
かわりに部活は少し力を入れて、まあ指導が良かったのだろうけども、地区大会くらいならば入賞させてもらったりで、その線で推薦の話もあったようななかったような。
それそれで目指す専攻とは違ったから、適当に勉強をして当時少し興味のあった分野の大学に進学させてもらったんだけども、そもそもの適性がないのかもしくは大学に良い意味でも悪い意味でもマッチしきれなかったのか、学業でなにか特別なことをなすことはできなくて、それでも単位はフツーに取れたから卒業自体はできた。

では、就職活動はどうかというと、まあこれが酷いものだったわけで。
世は第二の就職氷河期だとかなんとかマリオブラザースみたいな会社がぶっ潰れて、夏前には売り手市場だったのが買い手市場になってしまって、就活講座に来ていたリクルーターが「来たねぇ!不況!!」とか状況が状況なので半笑いで聴いていた思い出。
そこでまあ、反骨心とか確固たる方向性とか持っていればよかったのだけども、そういうわけでもなくて、エントリーシートやら履歴書やら面接やらちぎっては投げちぎっては投げられ、特に何も見定まらないままに大学卒業を迎えたりしたわけだ。
いまでもよい思い出とは言い切れないあの頃。

そこから紆余曲折あっていまの会社に潜り込み、そこから10年くらい務めているわけだけども、それはそれでひとところにずっと居続けると思うことも多々あるわけで。
このままでいいのか、ここで定年過ぎまで続けられるのか、身体は持つのか精神は持つのか、満足しているのか、不満があるのか。
じゃあ新しい場所を求めるか、確実性はあるか、この場所を捨てるほどの理由があるか、決断できるのか、ただの逃避ではないのか。
思いは募るばかり。

どうしたいのか、どうすることもできないのではないか、そんな心持ちである。

いま、業界や待遇によっては雇用形態勤務体系の切り替えで対応できるところもあるが、どうにもならず流されるままに悪いほうへ悪いほうへと突き進むしかないひとたちもいるわけで。
自分がどの立場にいるか、振り返ると、このさきとてもやっていけないようにも思えて、すこし嫌になる。

すこし嫌。
この気持ちのズレがどんどん振り子ように大きく大きくなっていくように思えて、このまま行きたくはないけど、受け身の私だから。
良い方向へ動くには行動するしかないが、はてできるのだろうか。

すこし悩んでいる。

三月中はいちども書いていなかったため思い出したかのように駄文を打つのだ。※飲酒している。

映画を月一回は観に行っていたからその際に更新すれば毎月一つは記事を書けるだろうと高をくくっていたが昨今の情勢により映画館へ足を延ばすことが心理的に難しくなり結果として3月中に記事を書くことは難しくなったのだった。

4月だ。

エイプリルフールの嘘のように世間では感染症が蔓延していて、ほかに重篤な患者もいるのだろうに世間も病院もコロナコロナと同じ方向を向きながらぜんぜん目的外の行動をしていたりして、現実は小説より奇なり、とまでは言わないかあるいはそれ以上の衝撃をもって世の中が蠢いているよう。

春の虫のようにほそぼそと動き出せばよいのに、感染症に従ってあるいは関係なく天候も乱れに乱れて不健全な関係を持ち続ける若者たちのように日ごとに顔色変えている。
3月も終わりに雪が降ったのはいつぐらいのぶりのことになるのだろうか。
あのときはちょうと入学式の季節で、ぼたぼたと雪が降っていてこんなこともあるのなだなぁ、と責任も何も軽すぎた存在ゆえに楽観的に眺めていた。

それがいまとなっては自分の手の届く範囲に限らず他人や知りもしない人のことまで考えて考えて考えて、身の振りや行動をしなければならなくなって、時の流れというのはかくに残酷なものだなと実感する。

子供のように学生のように無計画に一直線に走れればよいのに脇道枝道いろいろなひとがかかわってきたり離れていったり枚挙にいとまがない。
極端に賢くもなく自暴自棄になれるほど感傷的でなくすべてに無頓着な恍惚の人ではない私はただただ思い悩むだけでただただひたすらにつらい気持ちになるだけで、さて、行動に出られるかといえばそんなこともなくただただ卑屈になるばかりだ。

世間の果てまでいきたいな、などと言いながら旅券の一つもまともに手配できなかったりするあたり人生三十幾余年を生きてみてもまだまだ夢想家であることに変わりはないな。

そんな春である。
5月ごろには天候とにつられて陽気に過ごせる世の中になっていればいいな。
そんな風に世の中を導くのは自分自身だったりするのだけども実行に移せるのか否や。
先行きの見通しはつかないなぁ。

映画「ミッドサマー」を観た。伝統と文化とカルトとハーモニーと。なんとなく伊藤計劃を思い出した。

一部で話題の映画「ミッドサマー」を観てきました。
人連れていくと鑑賞後になんともいえない空気になるというので、たまたま取れた休みのモーニングショーでスカッとキメてきました。
これがまたキメるという表現がぴったりくるような内容で演出で映像で音楽であり、個人的にまさかのお気に入り枠に入りそうなスリラー映画です。
人は選ぶといいますか、「この映画が好きで何回も観に行ったの!!」なんていうひとはおそらくメンタルに不調をきたしているため速やかにセラピーを受けるべきでしょう
そしてこの言葉は僕自身に返ってくるのか??

個人的には伊藤計劃のハーモニーを彷彿させるなあと思いました。

※この先はネタバレも含みます※

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