取り戻せ語彙力

ちかごろ語彙力の低下を感じるためにリハビリと修行と暇つぶしと現実逃避のためにやってみんとしてするなり

盛り上がってきたぜ、なにごともないのに

ああ、もうなぜか!タイピング欲がここ数日めらめらとむらむらと燃え上がって盛り上がっていて帰宅・食後即叩く!といった具合である。

こんなのはじめて!!

とまでいかないがどうにもこうにもいろいろと頭から駄文やら名言じみた妄言や妄想空想があふれて出てくるのです。

ここ数年、いやいや、10年近くくすぶっていた脳の空想発明機関がぐるぐると歯車を回して蒸気を挙げて、わたしのことを前へ前へと押し出しているかのようです。

こんな気持ちなったのは学生時代のころはよくあったのだけど、大学を辛くも卒業し就職しくじりなんとか社会に潜り込んでからは身を潜めていた部分でありました。

ようやくして頭の切り替えを完全に行えるようになったのかはたまた学生時分の妄想空想現実逃避力がここにきて蘇ったか新たに手に入れることができたのでしょう!

すこしだけすばらしいきもちだ。

顔も名前も覚えるのが下手で、エーと…思い出せないくらいならばたいしたひとやものではないのだろうと、二度目にはスルーという行動、もはや性癖ともいうべき行動を繰り返してきた結果として感情の起伏がずいぶん控えられてしまっていたのだろうなあ。

学生時分といいますのは、ひとところに数十人が押し込められて一応は仲良く仲間として扱われるものでして、嫌が応にも腐れ縁のようなもの人によっては赤い糸やらどす黒い糸で結ばれてしまうもので、なにかと太い縁ができてしまっていたものですが、これが社会ともなりますと、まさに一期一会の繰り返しでして、自らが率先してあるいは相手がむやみやたらと踏み込んでいったりされたりしなければ縁などできようもないということにごくごく最近ようやく気付いたのでした。

好意も悪意もなんらかの行為で示さなければ相手には響かず届かず時間ばかりがただただ平等に流れてしまうわけで。

ひどくすっきりした気分だ。
このまま良い方向にじんせいが向かっていけばよい。

かじ取りするのいつだって自分自身でしかないのであるから。

先は、長い。

ただただ眠い

眠気がひどくてね。

いや、べつに睡眠時間が取れていないというわけではなくて、だいだい起きる7,8時間前には布団に潜ってはいるから、そのぐらいは何もしない時間を毎日とれているはずなんだがね。

どうにもこうにも寝つきが悪くて、入眠の瞬間というのはいつも判断がつかないものだけど、それにしたって寝た気がしない。
そういう毎日を送っているんだよ。
何が不安ってわけじゃない、明日が怖いというわけでもない。
べつに起きていたって何がしたいわけじゃあないんだけど、どうにもこうにも寝付くことができないわけさ。

じゃあ眠気に煽りをつけようって酒を飲んでもダメなんだ。
ウイスキーを引っかけたって、ビールを煽ってもダメ、ワインや焼酎は明日に響くから手を出せないし、あれらを飲むと眠りが浅くなってしまうから、あえて飲みたくはないし。

食後なんかはうとうとするから短く寝込んだりもするんだが、ハッと目が覚めてから慌てて風呂や歯磨きをして、さあキチンと寝ようじゃないかと改めて布団に潜るころにはいつも以上に目が冴えていて、いよいよ眠れなくなってくるんだ。

毎日やっているわけだし、それこそ生まれてから今日まで一日だって眠りにつかなかった日なんてなかったはずなのにどうしたってこんなに上達しないものなんだろうか。

眠ることくらいうまくできたっていいのにね。

センチメンタルとノスタルジーと郷愁感と切なさと、エモさ

ひさしぶりに大学の時代のひとたちと飲みにいった。
テキトーにご飯か飲みをして、フラフラっとダーツに行くのがいつもの流れで、今回もそんな流れだった。

話をして、遊んだ、感じることがみんな変わったようで根底の部分は変わった居ないなということで、自分もやはりそう感じてもらえてるのかな、なんて少しも成長してないなという煽りじゃなくて当時から今日までが地続きでみんな変わらず生きていてくれて本当によかったなぁ、とセンチメンタルに感じたわけだ。

と、端からはそう見えても、一歩引いてみたりよくよく話し込んでみると、良くも悪くも歳を重ねて時の流れを感じたりして、精神的な本質は変わらなく、肉体的にはやっぱり酸化・老化しているのかな、なんて思って学生の時とはやはり勝手が違う部分があり、そこに関してはノスタルジックな気持ちになる。
地元に就職して実家通いだから生活半径なんて変わっていないのにね。
自分が変わらずとも周りは変わっていく寂しさみたいなものかもしれない。

いつも通う道でも、ときたま通る道であっても、自分の意志とは関係なく街は変わっていっていることを常日頃よく感じるようになっている。
昔の記憶・映像が瞼の裏と脳裏にチラついて、ちっとも現実を受け入れられないでいるのかもしれないな。
あのときのあの場所はもうどこにもなくて誰いないんだな、なんて村を焼かれたエルフみたいな郷愁感を感じたのかな。
復讐心とかそういうのはないけどね。
他意は他意だけどそこに悪意はなくて善意で街は変わっていくのだろうから。

そうしてくると、どうしてもなにかこみ上げてくるものがあってそれはなかなか説明がつかないんだけど、変わりゆく世界や街や人に合わせて自分は変わっていけているのか、そも変わっていく必要はあるのかななんて。
受け入れたくない変化は拒んでもいいし、自分の思う形へ変貌させてもいいわけだし、他者の意見だけで自分を取り繕う必要はないんだよね。
ようやくちょっとその辺が見えてきて、自分のここまでの人生の歩み方を思い返すと切なさがある。

ひとひとりごとに人生があってエゴがあって流れるままに流される人もいれば流れを作っていけるひともいるんだよなぁ、とピンと来た。
人はどこまでも自由でだからこそ個人であってパーソナルで独立していてそれでいってやっぱり最後は一人ばぼっちなんだろうな。
そういうのが僕としてはエモさになるんだけどそうでもないのかな。
エモってのはエモーション、エモーショナルってことだから辞書で引いたら感動的ってことだからなんでもいいから心が動いたり響いたりしたらエモいってことでしょう。

感動ってのは感傷にも似ていてそれはエモくてセンチメタリックでノスタルジックでどうにもならないことなんだろうな。
できることなら手の届く範囲はどうにかしたところだな。

くらむぼんみたいに。
ふわふわ

映画「人間失格」を観た。二階堂ふみがいろいろ衝撃でしたよね。

ちょっとまえに観に行きました。

小栗旬主演で太宰治の半生というか人生というか人間性というか作家として売れてスランプに陥って死ぬまでを描いた作品でした。

蜷川作品ですので噂通りに映像の華やかさが際立って素晴らしかった半面、太宰治人間性が垣間見えた良作でした。

さて、この作品によれば太宰治という作家は極端に実体験を元にしてしか作品を作れない作家であったようで、仕方なく不倫に走っているということをしきりに言っていた。
実のところは恋愛体質でありながら手を付けた女性を切ることができずにいる人間らしさがあった。
心中して相手は死んでその出来事をそのまま作品に利用するような下衆でくずな作風なのに本人が悪人になり切れていないという苦悩がなかなか生々しく面白くあった。
はじめは太宰が3人の女性の人生をぐしゃぐしゃにしていくのかな?と観ていましたが、最終的には3人の女性をすべて立てようとして耐え切れず太宰がぐしゃぐしゃになっていくさまは恐ろしくあり同情を感じるような場面もありましたがそこに至るまでの経緯が下衆の極みですから最後には妻役の宮沢りえとともにすっきりした気分になりましたね。

編集者の悪行がネットやなんかでは最近話題になっていますが、劇中の時代の編集者・出版業界というのは、売れれば何やってもいいんだよ、という雰囲気がバリバリだったという時代背景もあってか、作品のために下衆に走る太宰を止めもせずあおるような描写もあり、それがあってあんな生き方になってしまったのかな、なんて思ったりもした。
作家になったから、ああいう取り巻きに囲まれたから、太宰はああなってしまったわけで、もっと良い環境で良識的な作品がヒットすればもっと、長生きして、もっと作品を残して、まあ足られ場はやめよう。

ひとりの作家の人生が好転して急転して落下していくさまは映像と音楽と俳優陣の美しさもあいまって素晴らしいので是非とも見てほしい作品である。

あと、R-15ってこんなにエロくていいのか…と驚きながら見てたら二階堂ふみのおっぱいが見れて、いっしゅん意識が飛びましたよね、びっくりした。

その辺のエロティックさも含めておすすめです。
もう劇場上映はほぼほぼ終わっているだろうけども、チャンスがあったら観に行ってほしいなあと思います。

終わり。

映画「JOKER」を観た。直前にダークナイトとバットマンビギンズも観た。

増税に怯えて割と大きめの44インチサイズのモニターを買い、以前より持っていたAmazon fire TV Stickを接続したところ、起動から動画につながるまでの速度が爆発的に上がり、そこそこ映画を観ている。

兼ねてより気にはしていたが視聴はしていなかったいわゆるアメコミ系のDC作品を観始めた。
ダークナイトバットマン・ビギンズを視聴した。
あとから調べると順番は逆だったようだが、なんて切ないストーリーだろうか、とマーベル作品ばかり見ていたからハッピーエンドになるとかそうじゃなくても救いがあるのかと思いきやそんなことはぜんぜん無くて勝手な正義感でごくごく狭い地域であるゴッサムをどうにか救済するという作品の人気に比べてなんて狭い世界での話なのかと驚いた。
それでいて救いのない、暗く、重い世界観とストーリー。
デップーがバカにしていたのもよく分かった。

そんな作中で悪のカリスマながら屈指の人気を誇る、JOKER。
僕自身も風評だとかそのデザイン性はかなり好みで、どこかでじっくりと彼を知る機会はないかと思っていたところで、今回の映画「JOKER」の公開があり、この度念願かなって観ることができた。

さて、JOKERである。
今作での彼の名前はアーサーという。
アーサーといえばアーサー王伝説が想起される。
が、王の名を冠していながら彼の生活は真逆の道化、ピエロを生業としている。
結婚はせず、中年で病気に苛まれた母の世話をしながら暮らしていた。
嘘はつかないが、精神疾患か作中描写では外傷による脳疾患で笑いが止まらない、病気むしろ怪我だが笑うべきではないところで笑ってしまう。
ただそれだけで周囲には気味悪がられ、生きにくさが生々しく描かれている。
その症状というは性格ではなくて明らかに後天的な身体障害なわけだが、他人には要因なんて関係なく、ただただ気味悪がられるだけ。
惨めみじめに描かれるなかで、かなり単純な力を手に入れる。
それが本国アメリカで物議をかもしている拳銃なわけだ。
別に望んだわけではなくたまたま手に入れたそれが文字通りに引き金になって、彼はJOKERへの歩みを進めてしまう、進んでしまった。
アーサーのような貧困に陥っているひとは現代社会では、いや、いままでもそしておそらくこれからも存在していて、そちら側に居ないひとはフィクションと感じていて、そちら側に居るひとは非常に強い共感を得て、現実にもJOKERを求め、あるいは自らがJOKERになろうとしてしまうかもしれない。
さて、JOKERは悪なのか。
こちら側から見れば紛れのない悪だが、あちら側から見れば正義の執行者だ。
立場によって、正義と悪はぐるぐると目まぐるしく入れ替わる。
よくある話だ。

それだけに非常に影響力があるのだろうな。
良い映画だった。
善悪で言うと明らかに悪の話なのだけども、よい、興味深い、話だった。
また観たいような二度と観たくないような。
いろんな感情が働く物語だった。

作文はたのしい。それだけ。

とどのつまりはそういうことですよ。

ええ、昔から好きだったのか?喋るの下手なのか、頭の中でぐるぐると思惑ばかり巡らしていることが多く、それって結局口から出ていくことはなくて、髪の毛になって伸びていくくらいしか無いわけで。
髪なんか切り落としたら終わりだし、伸ばせっぱなしで生きていけるような生活をしていないわけで、これだけ時間をかけたあれもこれも散発したらどこかに消えて行ってしまうわけです。
それは少し寂しいですよね。

だからひさびさに作文をしているわけです。
昔はネット黎明期よろしく日記サイトじみていたりもしたわけですが、私生活をさらけ出すのも歳を経るごとに限界が出てきて、それというのも学校生活が仕事ばかりの日々になりますと、この広大なインターネットにばらまくには勇気がいることが増えてきてしまうわけですね。守秘義務なんかもあるしね。
ここで保存拡散されてしまえば自分ではどうにもならなくなってしまいますしね。
うかつなことが描けなくなった。
うかつなことが多かったからか昔のネットは楽しかったなんて懐古に浸れるのかしら。
昔は白とか黒かグレーとかよくわからなかったから真っ黒なできごとも個人が堂々と公開していて無法地帯でしたけども、いまはずいぶん整備されたような様子ですよね。
まあ、いまも昔も法律も含めてルールは守りたい人だけが守るみたいな風潮・文化は一部であるようですけども。

この一部という言葉も適当で100を1と99に切り分けてもどちらも一部ですからね。
全体に対しての比率は関係ないわけで、一部のわりにでかいなあ?、と一部は全体に対して小さいほうの一部と思い込んでいたりするわけです。
あれ、ぼくだけ?

比較的おっかなびっくり物事を考えて人に提案しているつもりなので細やかに提言とかするんですが、そこまで面倒見るんすか?、と言われることもあったりでそれはまあそうなんだけど、そこで叩いておかないと自分にも被害が及ぶよ?とときに忠告しているつもりなんだがどうしてなかなか。
まあ、自分が無傷ならたいていのことはどうでもいいんだけども。

なんでこんなエントリ?記事?を書こうと思ったかと言いますと、前回の記事がね、あまりにも気持ちが出すぎいて、ちょっといちばん上に出しておくのはなあ…と思い当たったからです。
推敲も見直しもしてないのでてにをはとか誤字脱字も散見するんだけどそれはそれで気持ちが入っていていいかな、とも思って。
やっぱり自分の書く文章というのは自分の胸に響くなあとこのブログの記事にしたって中高生に書いていた小説なんか読み返したって思うんですよね。

やはり俺の書く文章は俺の趣味に合っている!!


なんてね。
そういう独りよがりが結局抜けなくて今日に至るんだけど、いまさら他人の思考にすり寄るのも面倒でというか他人の思考読めないしな。
空気はわからるんだが人の心の中までは除けないって財務省のひとも言っていたし。

本当に言いたいことはタイトルの通りでどんな内容であれ作文は楽しいよね。ってことです。
ええ、僕にとってはですけども。
一部の同じような趣向の人に会えたらいいな。
なんてね。

 

ドラゴンクエストユアストーリーを観たという地獄 ※ネタバレを含めて感想を書きますし、タイトルの通りです

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誰もかれも嬉々として地獄へ向かっていく

私はドラゴンクエストが好きで、ドラクエの発売戦略であるその時に一番勢いのあるハードで発売するという手法に踊らされて新作発売に合わせて新ハードを買うような生活を続けていて、今秋ドラゴンクエスト11Sの発売に合わせてswitchを慌てて購入してみたら性能強化版の発売がアナウンスされて泡を吹いりする程度にはドラゴンクエストシリーズが好きです。

いちばん多くプレイしたので3でしょうか。
いわゆるロト編最終作ですね。SFC版をプレイしましたから性別も仲間もいろいろ選べてやり直すたびに面白かった思い出が強いです。

さて、いま話題のドラゴンクエストユアストーリーを観てきました。
レイトショーかつポイント利用で実質0円での観覧です。
あまり観に行くつもりはなかったのですが、公開後のあまりの評判の悪さに怖いもの見たさが出てきて足を運ぶことになりました。
ラスト15分で着れ散らかす人が続出と言われていて、「そんなことには本当にあるのかな?」と疑問に思ってしまったことが今回の地獄のはじまりでした。

週末に予定があり、その準備を兼ねて有休を取る予定で、前日にレイトショーで観ておくかと調べてみたら20時台で上映がありましたからこれ幸いと足を運んでしまったのです。
いま思えば愚かなことをしたものです。

映画館に入りまして席に着きます。
いわゆる夏季休暇期間のレイトショーの若者のグループや年代広めのカップルやご夫婦と評判のせいか時間帯のせいかスカスカながらもお客さんはチラホラと居ました。
近くに同じ年の頃の男性がビールとポップコーンを持って入ってきたときは、アクション要素なんかがあるのかな?それとも笑いに来たのかな?といった考えが頭をよぎりましたが彼がどのような想いで観に来たのかはわかりませんが私と同じ地獄に片足を突っ込んいたことだけは確かでした。

 

※ここから素直に作品内容を描写していくためこれから観覧予定の人は読むのをお控えください。私としては観覧自体を控えていただいたほうが良いかと思いますが…。

 

新作のCMなどを超えて、作品がはじまります。
初めの場面はまさかのドット絵での主人公の誕生シーン。
この時点ではドラクエを称賛していてこういうファンを喜ばさせるための仕掛けなのかな?と思っていました。
それがただの悪ふざけとも知らずに。

さて、ストーリー以外の部分で語りますと、かなり良かったかな、と思います。
CG技術の発達はすさまじいのだと感じましたし、キャラクターのデザインもよかったです。
特に宿敵でありかつ本作のラスボスであってほしかったゲマに関しては俳優さんの演技もそうですし造形も素晴らしかったように思います。底知れぬ怖さと言いますか不気味さと言いますか。そのあたりが上手く表現されていたと思います。
音楽についてもドラクエ5を下敷きにしながらドラクエシリーズ全体から曲をセレクトしたせいでところどころ思考が混乱はしましたがそこは交響楽団の力の見せ所と素晴らしかったように思います。すぎやま先生ありがとう。
でもなんで上映を止めてくれなかったんだろう。

では、ストーリーに戻ります。
ええ、ドラクエ5のストーリーからエッセンスを取り出して繋ぎ合わして100分程度に詰め込んだことは称賛に値するかもしれませんが、なんというか非常に雑でした。
ドラクエ5を未プレイの方にはかなり不親切だったのではないかな?
ビアンカとの再会は突然すぎたし、そもそも子供時代をスキップしているためあまりにも思い入れが無い中で嫁として選び出すあたりがもう…ねえ?
そもそもがストーリー展開としてはフローラとの出会いと再会の描写はしっかりとしていたため、あ、これはフローラなのか。ビアンカ派としては辛いところだなと思いましたが自己暗示で抜け切ろうと思ったところで、まさかのビアンカへの手のひら返し。
あれはフローラがかわいそうすぎるだろう…と思ったところでのフォローがアレですからね。アンディの描写もないし、あの父親の元だと本作のなかでは幸せなその後をフローラが遅れてたのか気になるところです。

で、だ。
晴れて夫婦となりまして、ドラクエ5の盛り上がりかつ不意打ちイベント勇者誕生!!となるわけですが、双子ではなかった。
ああ、ドラクエ界も少子化核家族化が進んでいるんだな、尺の都合もあるし、ジェンダージェンダー騒いでいる中で女の子カットは英断ですね、しかたないと受け入れました。
で、子供が生まれたら親がひどい目にあるのがドラクエ5ですから、当然襲撃受けるわけですね。
この辺りの勇者誕生~主人公石化~復活!!あたりはよくできていた気がする。
そこそこ観られたし、最終決戦までの勢いもまあまあ良かった。
ミルドラースとはバトらずに天空の剣があくまでキーアイテムとして消費されて完結へ!!素直に向かえば!まだよかったのに!!

ロトの紋章の異魔神のできそこないのあれがでてきてしまったんだよなあ・・・。
ひどすぎて、あの展開はひどすぎて、ほろほろと泣けてしまった…。
ビール飲んでた男性のほうからも嗚咽が聞こえたけど、僕と同じ感情だったのだろうか。

正直、作品名とところどころの登場人物のメタ発言と過度なゲーム表現およびネットにはびこる落胆の声から、読めた部分ではあったんだけど、それにしてもひどい。
これはゲームなんだよ、と言われるのは覚悟していたけど、こんなことしなくてもいいじゃないか。
いや、表現としてはやってくれてもいいんだ。どんな作品だって作る自由と発表する権利はあるからさ。
でもなんでこれをこんなことをよりによってドラゴンクエストでやってしまったんだろうか。
ほかのゲームではだめだったのか。むしろ架空のゲームでやってくれればよい作品。超展開、大どんでん返し、なんて装飾語をつけて受け入れられたように思う。
もともとこれはネットゲームの中の物語ですよーと言われている古い作品だと.hackだとか最近だとSAOとかならぜんぜんよかったと思う。
でもドラクエのナンバリングタイトルでこれはこれだけはやっちゃダメだろうに…。
ドラクエXならまだよかったかもしれないね。
光のお父さんで勘違いしたのかスクウェア・エニックス
なんてひどいことをしてくれたんだよう…。

エンドロールで件のシーンだ出た時に傍観から笑い声が出たぜ。
終わって、明かりがついて頭を抱えてしばらく動けなった作品ははじめてだ。
帰路につくひとみんな苦笑。
外出た瞬間に「二度と見ねぇよ」と吐き捨てる人。
入口のポスターの前で立ち尽くす僕。
みんないろいろな感情表現があってよかった。

僕に関しては少し具合が悪くなったのとなんでこんなものを観に来てしまったのかという自責の念から一駅歩きました。
埼玉県北に住んでいるのでさいたま新都~大宮間でしたが、真夏の夜中に歩くのは初でしたね。
南銀あたりで寄ってきた客引きが表情観て絶句して引き下がっていったのは少し面白かった。

そうこうしている間に電車に乗って、家に着いて自然と口から出た言葉。

「なんだったんだあれ」

本当になんだったんだろうあれ。

全編通して予告編をつなぎ合わせたような雑なストーリーもシリアスとコメディさのバランス下手さもファンタジーな世界観と登場人物の吐くセリフのアンバランスさも、許容範囲ではあったが、あの最後の15分?なのか?永遠に続くかと思ったあの展開はダメだ。
世界の山寺宏一が出てきてもあれはダメだ。
ファンサービスのつもりなのか無理矢理に出したロトの剣もダメだ。
ひどかった。
ほんとうに。

今後のドラゴンクエストが心配です。