取り戻せ語彙力

ちかごろ語彙力の低下を感じるためにリハビリと修行と暇つぶしと現実逃避のためにやってみんとしてするなり

雪にまつわる思い出

ひさびさにパソコンをつけたので何か書こうと思いますが特に何もないですね。

なんだか関東平地にも雪が降りそうだというし雪にまつわる話でも書きましょうか。

あれは4,5年前の大雪が降って各地でカーポートがぶっつぶれたり、農作業ハウスがぶっ壊れたり、なんだか関東地方大騒ぎになったあの日ですね。

時期的に友人宅で忘年会した日で敷地がでかいやつなので車で行って、忘年会して、朝起きて、外を観たら一面真っ白でまあまあ笑ったことを覚えています。

なんてたってノーマルタイヤでしたからね。

でまあそろそろと国道ゆっくり走って、停車したところ、ルームミラー越しに見えるタイヤが止まったまま近寄るミニバン。

どーん!と突っ込まれました。

バンパーぶっ壊れてなんだか首が痛いなぁって程度でしたので警察呼んでいろいろやって帰宅して医者に言ったらエリザベスカラーじゃ猫か。ヘドバンするときに着けるやつつけてしばらく日常生活していたのでクレーマーさんが気遣ってくれたり不思議なこともありましたね。

予後が良いのか悪いのかいまのところ何となく痛みがある日もあって、紙とか金属とかといっしょで一回ついた折り目というのは二度と元に戻らないんだろうな思いました。

雪降ってもいいけど、路面が凍ったり、交通に支障が出なければいいと思う。

おわり。

なんて素敵にボヘミアン

念願かなってBohemian Rhapsodyを観てきました。

それだけなんですけども。
ご存知、QUEENフレディ・マーキュリーの半生というか人生というかすべてを描いたドキュメンタリー映画…であってるのかしら?

僕としては最近バンドのライブにも行っていないし、なんだかんだフレディのイメージは魁!クロマティ高校から知ってから何にも更新していないし、QUEENというバンドも楽曲はもちろんバイオグラフィーもよく知らないし、これだけヒットしているならそれはもう良い映画なんだろうと、観に行った次第でして。

もう序盤からほろほろと涙流しながら観てしまった。
ああ、もうこんなに心に響くとは…。

僕もまあ大多数の男性が一度は思い描くであろう楽器だなんだをやってみたいとギターを買ってみたり、幼少期にピアノを習わせてもらったりと、音楽をやってみよう!と取り組んだものの全く体得できなかった人でして。

そういったひとはこういう学生時代に楽器やバンドをはじめてうまくスターダムに乗っていくストーリーにかなり弱い。
それにバンドメンバーとの関係性もかなりよい。
上下関係が無い家族だと終始一貫しているわけで、これがQUEENがここまでの存在になった理由なのかなぁ、と眺めていたわけです。

そのなかで一時期のあれやこれがずいぶんとまあクるわけで。

ああもうここまで富と名声を手に入れた人でも行きつくのはそこか。そこなのか。

ファミリーを持ちたくなる、そんな映画でした。

QUEEN楽曲を聴き込んでもう一度観に行きたいなぁ。


Queen - Bohemian Rhapsody (Official Video)

あおぞらにひろがるなんとやら。

大体何も書くことないし、プライベートなことを書いて特定されたり糾弾されても気持ちが良くないし適当に書くね。

男もすなるなんとやらをしてみんとしてするなり、といった感じの書き出しの現存する最古のネカマ日誌といえば土佐日記でしたっけ?紀貫之
あれは漢字ばかりで糞めんどくせぇから平仮名で作文したいけど恥ずかしいから女の子の振りして書いてみるよ!という発想で作られたという部分だけ鮮明に覚えていて肝心の中身がわからないわぁ、という話を最近したんですけども実際どういう内容なんですかね、あれ?

そう思いましたらばご存知青空文庫で公開されてました。

www.aozora.gr.jp

あ、原文だこれ。
現代語訳見つけてから中身の話はしましょうか。

話を変えて、青空文庫ですね。
著作権の切れた文学作品などをがんばって公開してくれているサイトさんですね。
お金のなくて暇を持て余していて意識が若干高いときに利用したりしていたんですけども、漫画動画のほうが楽なのであんまり使いこなせかったですね。
インターネット黎明期あたりからあったようなイメージで助かっていたんですけど、電子書籍が一般的になるにつれて少し勢いが弱まった気もしましたが元気に活動されていたようで何より。

ちらほらと時間を見つけて読んでいきたいなぁと思ったのもつかの間で、前述のとおりに原文ママだったりするので注意が必要です。
作家別にみていくと掘り出し物が見つかったりもしますので、古本を探すように読んでみたらどうですかね。

青空文庫 Aozora Bunko

では土佐日記の現代語訳を探すので終わります。

 

芸術が金にならなきゃとっくに廃れているということに当時の僕は気づかなかったわけだ。

すでにネタ切れの感が否めないんですけど、それでもまあこれは作文というかアウトプットというか考えをまとめたり書き出すための練習か下敷きになると思うので適当に続けるわけですよ。

音楽は好きですか?

僕はまあそこそこに好きでそれなりに聴いたり歌ったりするんですよね、
たしなむ程度に?
それなりに?

楽器もやろうかなーと思ったりしてギターを買ったけどいい置物になっています。
高校生の時に買ったからもっとガンガンやってみれば日本武道館を満杯にするような人にもなれたのかなぁ?ってアラサー通り過ぎた今もときどき思ったりしますね。
思うだけですが。

音楽も何も興味ねぇ~といった幼少期?幼時から小学生低学年くらいには習いものをたくさんしていて、思い出せるのがスイミングとスポーツクラブと習字とピアノ教室でしたね。
昔からあんまり頑張り屋さんではなかったので、スイミングに行った後は爆睡してスポーツクラブいけなかったりその逆だったりで、距離の近いスポーツクラブを残してスイミングはやめてしまったので、小学生あたりであんまり泳げなくなったのは良い思い出。
そのうえで子供ながらに習い事が多すぎると意見したのか家庭の事情か、習字かピアノを辞めるという話になってなぜかピアノを辞めたんですよね。
いま思うと明らかにピアノを続けていたほうがその後の人生が楽しかったような趣味趣向なんですけど、物心つく前のことだからよくわかりませんね。
スポーツクラブは年齢制限が終わるまで、習字は塾通いを始めるだかで辞めてしまいましたね。

幼少期の習い事、総じて活きていない気がするんだけど、なんだったんですかね?
情操教育?親のエゴ?
まあ、その辺はいいんですけど。
頭脳が豆粒だったころの話ですから、自分で始めたんじゃなくて親に言われたから始めたんだと思うけど、辞めるときは自分で言いに行けと指示された記憶が鮮明に残っていますね。
やはり別れの言葉は寂しいもので「辞めます!」って言ったときの先生の寂しげな顔がなんとなくうすぼんやりと脳裏にあるわけです。
20年くらい前のできごとだから半分創造みたいなものだろうけど。
でもまあ、それがどっかに根付いているのか何かを始めるのも終わらせるのもいまいちできない人になってしまいましたね。
「やめたいなー」と思っても続けてしまったり、「はじめたいなー」と思っても手つかずだったり。
終わるときは相手の都合だったりで、あーそっかあ、みたいに終わるのです。
一方的に自分が傷つけられていると気づくのはもう少し先の話ですね。

そういったことでなにか新しいことを始めたいと少しだけ思う。
そんな刺激をくれた漫画がありまして。

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 ブルーピリオドといいます。
すっごいあらくまとめちゃうと、「リア充、美術に目覚める」というお話です。
ひさびさに蘊蓄たっぷりの専門漫画を見つけたので非常に楽しんで読ませていただいてます。
また美術というのがね、よいですね。
作中に「選択美術とるやつなんかサボリとオタクしかいねーよな」というセリフがありましてね。
高校時代に選択美術を取った僕はビクッとしたわけですね。
オタクではあったけども、選択美術は楽しかった。
中学時代も高校時代も美術の授業は楽しかった。
あれー?と思いながらやったデッサンも「男子同士で描きなよ!」と急にペアの女子に逃げられた油絵も楽しかった。
過去を振り返ると、小学生のときの図画工作の授業にまで戻るんですけど、なにかを組み立てるのは楽しかった。


でもまあ、あの頃の僕というのはいま以上に視野が狭くて、美術だとか絵だとか工作だとかではお金にならない!と頭の中で決めつけていて、フツーの授業のほうが大事だろうなとフツーの授業にも力を注ぎきれないくせに思っていたわけです。
それでいろいろ空回りを続けて今日至るわけです。

あのときああすりゃよかったな、と日ごろ思うわけです。
どうせこうなるならもっと好きなことやっときゃよかったな、なんてね。
誰に強制されたわけでなく自分で選んできたくせに。
そういう人生を過ごしてきたひとにこの漫画がえらい刺さるわけですね。
ええ、おすすめです。

絵画教室にでも行ってみようか。

タブレットを新しくすればもうパソコンいらないんじゃないかって。

パソコンを起動させたら1エントリー書こうかな…と控えめに自分で決めてから二回目の投稿です。

誰にも言っていない表明も誰も見てなさそうなところでやるっていうのもなかなか間抜けで面白い気がする。

そうでもないかな。

さて、パソコンを起動させたら、と条件づけなので一日か二日空いた形になるのだけど、過去のmixi全盛期だとかFLASH黄金期に比べたら本当にパソコンを使わなくなった。

なぜかというと、20年近く触れているパソコンの使い方がウェブサイト検索・閲覧による情報収集ないし暇つぶしから成長しなかったからだと断言できる。

パソコンというと文書作成をはじめとしたどんなことにでも利用できるスーパーツールのはずなんだけど、僕はというと触り始めた小学生のころからおっさんになったいまに至っても、使い方にこれっぽちも成長がみられないのだ。

面白そうなことがあれば、気になったことがあれば、検索窓にキーワードをぶち込んで、検索結果を斜め読みして、へーとかふーんとか感想を感じて、特にどこにも開け放たないで一日を終える。

それまあ20年くらい続けているわけで。
ぶっちゃけもう飽きてきたのだ。

そしてスマートフォンタブレットなんてものが登場したから、僕の利用しうるパソコンの機能はスマートフォンタブレットでほとんど賄えるようになってしまったから、あえてパソコンデスクに腰を据えてモニタを覗き込むなんてことは仕事くらいでしかやらないようになってきたのだ。

こういうひと、結構いるんだろうか?

スマホってやつは本当に高機能で、web閲覧なんてサイトも動画も音楽も漫画も書籍もすべて賄えてしまっているし、その上で無線だから場所を縛られるということも無くなってしまって、本当に便利だ。
端末代金や回線料金が高いって話はいつだって話題になるけど、その機能も多様さからみれば安いもんだと思う。

カメラがあると思えば画像編集や動画編集も行えるし、文書作成もお手の物だ。

ここまで機能が増えるとあえて腰を据えてパソコンの前に座る必要って果たしてあるのかな?

そんなことを今日は思った。

Amazonリンク貼れることに気づいたので脈絡ないけど貼ってみる。

マイクロソフト Surface Go(4GB/64GB) シルバー MHN-00014

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 単純にいま欲しいだけだ。

カントリーロードって知っている?

すっかり印象が耳をすませばからキングスマン:ゴールデン・サークルに書き換えられてしまった印象がある。

カントリーロードという曲を知っていますか?

僕がこの曲を知ったのはおおよその方と一緒のように「映画・耳をすませば」である。

劇中で主人公の雫が経緯は忘れたけど、和訳に取り組んでいて、作成途中の和訳をシンゴジラで一躍話題になった高橋一生が演じるイケメンが「コンクリートロードはやめたほうがいいぜー」とかいう放言を垂れるシーンが印象的に描かれている。

さて、和訳というようにカントリーロードは「Take Me Home, Country Roads」という曲名でJohn Denverという人が歌った名曲とのこと。この方やこの曲のことについては各自で調べていただくとして、それはまあ名曲で耳をすませばの劇中歌にもなるよなぁ、といった具合。

さて、冒頭にも書いたように耳をすませば以外にもカントリーロードが劇中歌として使われた映画作品があり、それこそが冒頭の「キングスマン:ゴールデン・サークル」である。

キングスマンは簡単に言うとスパイもののイギリス映画である。
もっと簡単に言うとジェームズボンドが主役の007シリーズのようなものである。イギリス映画でスパイものってだけで括ってしまうのは乱暴かもしれないがただのイメージだからご容赦願いたい。
そもそのをいうと僕自身は007シリーズもただの一作品もまともに鑑賞したことが無いから本当にただのイメージである。

話しを戻そう。

キングスマン:ゴールデンサークルはキングスマンシリーズの二作目で、2018年正月ごろに公開されていたような気がする。
一作目がなかなかにヒットして個人的にもよい評価だったので、公開間もなくフラフラと観に行ったことをよく覚えている。
作品内容の批評については個々の専門家に任せるとして、この劇中歌としてカントリーロードが使われる。
かなり良い形で、とても印象的に。
そのせいですっかり僕の中では「カントリーロードキングスマン:ゴールデン・サークル」というように印象が書き換えられてしまった。

一度埋め込まれた印象を覆す、書き換える、というのはなかなかに難しい事なのでどれほどの衝撃が僕の中にあったのか。感じ取れるだろうか?
おそらく感じ取れないだろう。
この文章はそれほどまでに作品内容に触れていないから当然だ。
だから、僕と同じようにカントリーロードのイメージ更新をしたいひとは是非とも「キングスマン:ゴールデンサークル」を鑑賞して貰えればと思う。
できれば一作目である「キングスマン」も含めて。

今日から始まる三連休キングスマンに触れてみてほしい。

フィクションです。

結局諦めが悪いということなんだわ。

「能力ないし才能の天井」という言葉は昔読んだ漫画の中の大人たちがまだまだ成長途中の少年主人公たちに未来を託しているような場面で扱っていて、ときどき頭の中にチラついて来るから忘れることにしている。

僕も最早アラサーどころかサーといったところで、平均寿命に対すれば残り時間も半分に迫る勢いになってきていて、人生の終盤に向けていろいろ準備をしなきゃいけない中盤真っただ中である。

それにしたって、意志はブレブレ、仕事も熱中できず、家庭も築けてはいない、生物としても社会人ないし組織人としても意識が徹底できていないことを常日頃感じてしまうわけだ。

そうなってくるとそれらのいろいろに折り合いをつけるためにいろいろなことに妥協やら打算やら気持ちにキリをつけていかなきゃならないところにまで来ているわけなのに、どうしてなかなかまだまだ諦めきれていない。

良い表現をしよう。
「僕はまだ夢を見ている」

悪い表現をしよう。
「現実が見えていない」

その言葉はどちらも真実で残酷で呪いのようでいて希望にも感じられる。

はてさて僕はいったいどうしたいのか、どうなりたいのか。
今更になって考えている。考えている。考えている。
どうしたって答えは出そうにないのに。

なんでもかんでも諦めて捨てられちゃえばいいのにね。