取り戻せ語彙力

ちかごろ語彙力の低下を感じるためにリハビリと修行と暇つぶしと現実逃避のためにやってみんとしてするなり

タブレットを新しくすればもうパソコンいらないんじゃないかって。

パソコンを起動させたら1エントリー書こうかな…と控えめに自分で決めてから二回目の投稿です。

誰にも言っていない表明も誰も見てなさそうなところでやるっていうのもなかなか間抜けで面白い気がする。

そうでもないかな。

さて、パソコンを起動させたら、と条件づけなので一日か二日空いた形になるのだけど、過去のmixi全盛期だとかFLASH黄金期に比べたら本当にパソコンを使わなくなった。

なぜかというと、20年近く触れているパソコンの使い方がウェブサイト検索・閲覧による情報収集ないし暇つぶしから成長しなかったからだと断言できる。

パソコンというと文書作成をはじめとしたどんなことにでも利用できるスーパーツールのはずなんだけど、僕はというと触り始めた小学生のころからおっさんになったいまに至っても、使い方にこれっぽちも成長がみられないのだ。

面白そうなことがあれば、気になったことがあれば、検索窓にキーワードをぶち込んで、検索結果を斜め読みして、へーとかふーんとか感想を感じて、特にどこにも開け放たないで一日を終える。

それまあ20年くらい続けているわけで。
ぶっちゃけもう飽きてきたのだ。

そしてスマートフォンタブレットなんてものが登場したから、僕の利用しうるパソコンの機能はスマートフォンタブレットでほとんど賄えるようになってしまったから、あえてパソコンデスクに腰を据えてモニタを覗き込むなんてことは仕事くらいでしかやらないようになってきたのだ。

こういうひと、結構いるんだろうか?

スマホってやつは本当に高機能で、web閲覧なんてサイトも動画も音楽も漫画も書籍もすべて賄えてしまっているし、その上で無線だから場所を縛られるということも無くなってしまって、本当に便利だ。
端末代金や回線料金が高いって話はいつだって話題になるけど、その機能も多様さからみれば安いもんだと思う。

カメラがあると思えば画像編集や動画編集も行えるし、文書作成もお手の物だ。

ここまで機能が増えるとあえて腰を据えてパソコンの前に座る必要って果たしてあるのかな?

そんなことを今日は思った。

Amazonリンク貼れることに気づいたので脈絡ないけど貼ってみる。

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 単純にいま欲しいだけだ。

カントリーロードって知っている?

すっかり印象が耳をすませばからキングスマン:ゴールデン・サークルに書き換えられてしまった印象がある。

カントリーロードという曲を知っていますか?

僕がこの曲を知ったのはおおよその方と一緒のように「映画・耳をすませば」である。

劇中で主人公の雫が経緯は忘れたけど、和訳に取り組んでいて、作成途中の和訳をシンゴジラで一躍話題になった高橋一生が演じるイケメンが「コンクリートロードはやめたほうがいいぜー」とかいう放言を垂れるシーンが印象的に描かれている。

さて、和訳というようにカントリーロードは「Take Me Home, Country Roads」という曲名でJohn Denverという人が歌った名曲とのこと。この方やこの曲のことについては各自で調べていただくとして、それはまあ名曲で耳をすませばの劇中歌にもなるよなぁ、といった具合。

さて、冒頭にも書いたように耳をすませば以外にもカントリーロードが劇中歌として使われた映画作品があり、それこそが冒頭の「キングスマン:ゴールデン・サークル」である。

キングスマンは簡単に言うとスパイもののイギリス映画である。
もっと簡単に言うとジェームズボンドが主役の007シリーズのようなものである。イギリス映画でスパイものってだけで括ってしまうのは乱暴かもしれないがただのイメージだからご容赦願いたい。
そもそのをいうと僕自身は007シリーズもただの一作品もまともに鑑賞したことが無いから本当にただのイメージである。

話しを戻そう。

キングスマン:ゴールデンサークルはキングスマンシリーズの二作目で、2018年正月ごろに公開されていたような気がする。
一作目がなかなかにヒットして個人的にもよい評価だったので、公開間もなくフラフラと観に行ったことをよく覚えている。
作品内容の批評については個々の専門家に任せるとして、この劇中歌としてカントリーロードが使われる。
かなり良い形で、とても印象的に。
そのせいですっかり僕の中では「カントリーロードキングスマン:ゴールデン・サークル」というように印象が書き換えられてしまった。

一度埋め込まれた印象を覆す、書き換える、というのはなかなかに難しい事なのでどれほどの衝撃が僕の中にあったのか。感じ取れるだろうか?
おそらく感じ取れないだろう。
この文章はそれほどまでに作品内容に触れていないから当然だ。
だから、僕と同じようにカントリーロードのイメージ更新をしたいひとは是非とも「キングスマン:ゴールデンサークル」を鑑賞して貰えればと思う。
できれば一作目である「キングスマン」も含めて。

今日から始まる三連休キングスマンに触れてみてほしい。

フィクションです。

結局諦めが悪いということなんだわ。

「能力ないし才能の天井」という言葉は昔読んだ漫画の中の大人たちがまだまだ成長途中の少年主人公たちに未来を託しているような場面で扱っていて、ときどき頭の中にチラついて来るから忘れることにしている。

僕も最早アラサーどころかサーといったところで、平均寿命に対すれば残り時間も半分に迫る勢いになってきていて、人生の終盤に向けていろいろ準備をしなきゃいけない中盤真っただ中である。

それにしたって、意志はブレブレ、仕事も熱中できず、家庭も築けてはいない、生物としても社会人ないし組織人としても意識が徹底できていないことを常日頃感じてしまうわけだ。

そうなってくるとそれらのいろいろに折り合いをつけるためにいろいろなことに妥協やら打算やら気持ちにキリをつけていかなきゃならないところにまで来ているわけなのに、どうしてなかなかまだまだ諦めきれていない。

良い表現をしよう。
「僕はまだ夢を見ている」

悪い表現をしよう。
「現実が見えていない」

その言葉はどちらも真実で残酷で呪いのようでいて希望にも感じられる。

はてさて僕はいったいどうしたいのか、どうなりたいのか。
今更になって考えている。考えている。考えている。
どうしたって答えは出そうにないのに。

なんでもかんでも諦めて捨てられちゃえばいいのにね。

実写映画「BLEACH」を観た。ネタバレも含めて感想を

こんばんは。
クソ暑い、ふざけるな、と言ってたところで台風が近づいてきて急に気温が下がって驚いている関東民がひとりです。

そういったところで、日ごろのあれやこれやで隙間があったので先日、映画「BLEACH」を観てまいりました。

結論から言うと面白かったです。
虚も原作以上に不気味に恐ろしく描かれていましたし、作中序盤のわけのわからない化け物の感じが良く出ていてよかったです。

小道具もちゃんとしていて特に死覇装なんかは和服の要素がモリモリなので、原作特有のOSR感が無くなりまして、ルキアの腰回りの太さに和装の良さを感じましたよね。道衣に帯に袴ですからシルエットがもっさりしていてすごく良かった。そもそもが着物を着るなら寸胴だ!という至言もあるようにスタンダートな死神像がスパッと説明された感じ。
それに比べると、白哉恋次のヤンキー感は演者の性質なのか服装の特異性ゆえなのか。特に白哉に関しては、サムライギタリスト・MIYAVIがなぜか抜擢されており、MIYAVIとして観るとすっげえカッコいいんですけど、原作準拠の白哉兄さま視点で観ると…ちょっとテンションが高いというか、人に興味を持ちすぎている感じがしてましたね。まあ、そこは切り離しておきましょう。
恋次はどっちかというと班目一角っぽいなぁ、と思ったんですけど初登場したころの恋次はこんなもんだったな、と腑に落ちました。

さて、本題に戻って。
やっぱりね、漫画の実写映画化なのですっごい不安だったですよね。
俺たちの青春の一部に食い込んでいるあのBLEACHがいったいどうなってしまうのか?!るろ剣銀魂の実写も評判は良いが観に行ってはいなかったので、でもやっぱりBLEACHですし、一護を演じるのはかの仮面ライダーフォーゼを演じた人気俳優・福士蒼汰くんということで、当時高校生くらいで仮面ライダーをやっていた彼もいまさら高校生役が回ってくるとは思っていなかったでしょうけど、ある意味で特撮出身なので期待できるだろうな、と観に行ったわけですよ。
満を持して、上映開始。
ここはね、原作準拠でヤンキーをしばく一護さんから始まるわけですけど、後姿ドーン!振り返りドーン!テロップドーン!

黒崎一護
髪の色:オレンジ
瞳の色:ブラウン
職業:高校生

もうね、瞬間的に思いましたね。
あ、BLEACHはじまったな、って。
漫画の実写化ってイケるんだな、と。

あとは前作一話をベースにルキア登場、職業:高校生・死神ってとんとん拍子に行きますよ。
ここまでの流れで惜しかったのは妹二人の夏梨と遊子。
あの子らって原作だとね、黒髪の夏梨とオレンジ髪(ググったら茶髪だった)の遊子っていう外見からして対照的な妹たちが描かれていたわけですけど、そこはバッサリとフツーの女の子二人でガッカリしました。
霊力高いのどっちだったけ?とちょっと忘れていた部分なんですけど、ここんところがちょっとわかりづらいというか、説明が無いんですよね。
一護が幽霊見えるんだから妹たちも当然見えるでしょ?って類推しなきゃいけないんかな。まあ大事な部分ではないけども。

んで、話としては原作としても結構なターニングポイントであるところのグランドフィッシャー戦までやるわけですが、ここでね、どうにかして話に混ぜ込みたかったのか、同級生の面々を結構頑張って詰めてくる。
石田なんかは続編があるとするとかなり重要ですから無理矢理に出してきて感がすごくてちょっとかわいそうですよ。序盤と終盤で弓を持っている手が変わっていた気もするし、あれは撮り方的にしょうがなかったのかな。原作もどっちの手でも打てたっけか?
この辺りは弓道警察の血が私に流れているのでちょっとうるさくなってしまうんですけど、あんまり大事なところではないのでこのくらいで。
ちなみに同級生陣で石田の次に掘り下げられたというか活躍したのはチャドです。
彼だけ留学生のマッチョマンみたいな活躍をするのでそこは少し笑えます。

それで頑張ってグランドフィッシャーを倒しちゃって、原作知ってる人からすると「え?倒しちゃうの??」という気持ちも出てくるのですが、まあそこはいいんです。退屈な修行描写とか入れて頑張ってきたんだから主人公が怪物をやっつけるのは物語の定番ですよ。王道ですよ。だからいいんです。

でもその先が蛇足というか、水増しというか、ね?
なんだかんだ今回の映画は「死神代行編」なので、おっそろしいことに、ルキア登場から尸魂界に強制送還までを108分に詰め込んでるんですよ。
原作だと1~8巻分ですよ。
それを2時間弱にまとめたんでそう考えるとかなりうまく詰め込んでるんですけど、残りの15分くらいがルキアを回収に来たお兄ちゃんとヤンキーとの一護とのボカスカなんですけど、ここだけ異常にテンポが悪いんですよね。
物語としてみると、大事な大事な別れのシーンですから時間をかけて丁寧にってことなんでしょうけど、ちょっとね、痛めつけられて起き上がるを繰り返しすぎて、ちょっと面白くなってくる。
お笑いで天丼ってのがありますけど、あの感覚がジワジワと。
一護が頑丈すぎるのと、恋次が弱すぎるのと、白哉に人間味がありすぎる感じがね。
逆にこの辺りのルキアさんは上手でした。

そうルキアなんですよね。
演者でちょっと気になったのは。
まあ織姫も一部が原作準拠じゃないんで、「これは織姫じゃないな、織平民だな」とか意味わからない思いもあったのですがこれは省きます。
ルキアだけちょっと子供すぎるというか、あの原作独特の古風な感じのセリフ回しとかが杉咲花さんに合ってなかったんでしょうね。
声質も高いし、現代人役ならば人間役ならばもっとスパッとはまったと思うんだけど、やっぱり難しい役なんでしょうね、死神的な時代劇的な存在感って。

そんなこんなでルキアいなくなって月島さんのおかげで人間どもの記憶はそこそこ吹っ飛んで、一護と石田のBL的なはじめまして!!などを挟んで劇終となります。
ノローグで、ルキアが淡々と語った後に「多分」と語っていたので、うまくいけば続編やるんでしょうけど。
その辺りどうなのだろうか。
私が観に行ったのは月曜の午前中だったのですがまあまあの空き具合だったので興行収入的には厳しいのでは…?
そもそもがBLEACH本編もそこそこ前に終わっていますから、いまのキッズがあんまり存在を知らないと思うんですよね。
そうなると狙いは我々アラサー世代と思ったんですけど、それもなかなか。
福士くん目当てで観に行く人はいるんだろうか、杉咲さんの人気はどれほどなんだろうか、キャスト目当てで集客はできているのか?
などと少し興行成績が心配になりましたね。

やたらと長くなりましたが、それはまあ意外とBLEACH愛が心根にあった証拠ということで目をつぶっていただきたい所存です。
ちなみにいちばん驚いたのは、父親役の江口洋介のやたらとくおりぃの高い演技でも、見た目完璧な田辺誠一の蒲原さんでも、すっげーかこいいエンディング曲を提供してくれた[ALEXANDROS]でもなく、ついに母親役をやるようになった長澤まさみさんでした。
いやあ同世代が母親役をやってしっかりハマる歳になってしまったかぁ、ってね。

実写映画「BLEACH」絶賛上映中です。

なんて素敵にダンケルク!!

その昔、おそらくドラゴンボールが連載していた頃のジャンプコミックスに挟まれていた新刊情報冊子に挟まれていたタイトルだけ強烈に気に入ったものの、ついぞ読むことは無かった小説で「なんて素敵にジャパネスク」という作品があるのですが、たった今ググってみたところラジオドラマやテレビドラマも作られるなどなかなかに人気のあった作品であったことをたったいま知った私です。
素敵なタイトルですよね。

そういったことで、現在絶賛上映中の「ダンケルク」をひさびさに取得した有休休暇という名の夏季休暇消滅期限ギリギリ無理矢理取得の術で観てきました。
平日に訪れる映画館は驚くほどに空いていて、これを味わったら休日に映画鑑賞なんて考えられないですね。
空席率の高さに加えて、平日一回目午前中の上映はモーニングショーと言って、いささか上映料金値引きされているので、これを味わった休日に映画鑑賞なんで考えられないのですね。
ガラガラでお安い平日午前映画鑑賞おススメです。

何の話だったか。

映画「ダンケルク」を観た。
高校の必修である歴史は日本史を選択し、世界史に疎いわたくし。
前知識0で鑑賞に挑みまして、果たして一体何の映画なのか?、というところから始めて観たところ、第二次世界大戦時の英国軍の撤退劇である模様。
世界地理にも疎い私であるうえに歴史的背景の説明はほぼなしなので、これは筋道を理解できるのか?、と思いましたが地理的情報だけは提供してくれまして。

近くて遠いわが祖国、帰ることができるのか。

これが映画のメインテーマでありまして、そのために奮闘する若き兵士の苦悩や成長を描くことは全くありませんでした。
描かれるのは海峡に追い詰められ、どうにかして故郷に帰りたいがその手段が限られた人たちのただただ焦燥感と絶望感がひたすら描かれる。
なんとも観ていてつらい作品でした。
つらいというのは面白くないということではなくて、ただただリアルすぎるのでした。
セリフはほとんどない作品で、救出を待つ側・救出に行く側・その手助けをする側、その視点がただただ描かれる。
それゆえに引き込まれてしまうのです。
途中から僕はただただ助かりたい助かりたい、ととても安全な場所で眺めているだけの癖に願っていました。
自分一人ではどうにもならない状況でひたすらに助けを待つという視点では「オデッセイ」に近いかもしれない。
閉鎖空間からどうにか逃げ出す方法を探すというと視点では「ゼログラビティ」に近いかもしれない。
ダンケルク、史実を知っていても最後まで楽しめる作品だと思います。

ひさびさにいいものを観た。

もう9月だな

はてばぶろぐを勢いで開設したのはいいのですが、かつてのmixi日記をブイブイ言わせていた頃のようにはなかなか続かないものですね。
例えもなにもかも古い…ッ!!

かつては身内向けの妙な日記を真顔で淡々と毎日書いていたのですけど、あの情熱はいったい何だったんでしょうね?
いま思うとなかなかに不思議なものですわ。
ぼくがmixiを触り始めたことは招待制SNS!!という時代でしてそもそもSNSも起こり始めた頃であったように思います。
そのような新鮮味と学生自分の持て余した時間の注ぎ先として立派に活用できていたのでしょうかね。

断筆、というと大げさな言い方になりますが連続更新というかmixi日記を辞め切ったのは大学卒業したころなんですよね。
就活やらなんやらで暗黒期をいよいよなんにもならずに大学を卒業することになり、もうmixi日記も卒業じゃ!!
と当時の僕が思ったのかは覚えていないんですけど、環境が変わるといままで平然と続けられていたことが急にできなくなるということはよくある話で。
ぼくもそんなよくあるひとりになっただけなのでしょうね。

幼き頃には覚えていたはずの全能感はいつ間にか失われるのでした。

あのころのぼくらは無敵だった。

ところが敵がいることに気づく。

そのうえ容易には倒せない敵だとも知る。

その繰り返しでこんなにも弱くなってしまった。

挑戦することも減った。

昔はなにもかもが挑戦だったのに。

いまは勝ちも負けもない。

そんな穏やかな生き方をしたいと思っている。

ところが世間は勝ちや負けであふれていて、日々のその繰り返しである。

なんともまあ辛い。

しかし、痛みは慣れるものですからそのうちなんとかなるでしょう。

なんとかが良い方向か悪い方向かはさておいて。

明日はよいことがあるといいですね。

こうして出逢ったのも、何かの御縁

5年ぶり?6年ぶりか?
数年ぶりということで、濁しておこう。
しかし、あれは私が学生時分であったからおおよその時間の特定はできるというものだが、時間どうでもよい。
ただ昔ということにしておこう。

かつて買った本を数年ぶりに読み返し、読み終えたのだ。
書名はなんとなく伏せるが、タイトルでピンとくる方はピンとくるだろうし、それはそのままその通りその小説で合っている。
これまた時節柄、再び話題になってくるであろうから、検索してこの駄文にたどり着く方がいたとしたら申し訳ない限りである。
ただ駄文と自ら言い切る以上、好き勝手に書かせていただく所存である。
私が作る文章に読み手の感情はさして影響を及ぼさないからだ。

話を戻そう。
この小説は私が学生時に発行されて、内容よりもまず表紙が目に入った。
その表紙は私がいま現在も愛してやまないロックバンドのジャケットをてがけているイラストレーターが描いたものであって、透き通るような肌の女性を中心にごちゃごちゃとしているはずが整然と見えるようにモノが散乱しつつもまとまっているという特徴があるイラストが得意なひとである。
ロックバンドのみならずイラストも好きであったから手に取った。
そして、表紙に続けて感銘を受けたのはタイトルである。
有名な詩の一説をインスパイアした、いや、本歌取りというのか?
そのタイトルは一瞬にして私の心奪ったのである。
さて、中身を読めば、私が想いだけは持ち続けている古都・京都の学生の物語というではないか。
これはもう購入せざるを得なかった。

読み進めていけば、ただひたすらに外堀を埋めることに注力し、想いを寄せる女性の後姿ばかりに詳しくなる思い切りのないくよくよした男がから回しし続けているではないか。

ああ、これは、わたしのことではないだろうか。

積極的な行動一つで、スピーディかつ簡潔に結果を得られるはずなのに、それはするには時期尚早とただひたすらに遠回りと策を弄して外堀を埋めるのはさぞかし骨の折れることであるし、外堀埋めている間にひょいっと堀を越えていく男もいる中で、なんとばかばかしいことか。

あのころの私には思い寄せている乙女がいた。
ような気がする。
いや、居なかったかもしれない。
とはいえ、外堀を埋めることばかりに時間をかけて本丸に手をかけることもなく散っていった日々は多数経験したように思う。
いや、気のせいかもしれない。

だがしかし、不思議な感情移入のまま読み進めて、その読後感たるやなんともいえぬ心地よさを私に与えてくれたのだ。
当時の私は成人仕立て。
そんな中で「こうなれたらなぁ」などと思いを巡らしたのだ。
それなりに過去の話であるからおそらくという範疇を出はしないが。

そうして、乙女を手に入れた私は省エネなど出来ずに薔薇色の日々をてにいれるはずであったが、リーマンショックやなにかで灰色になった就職活動にかけられた拍車で薔薇色さえも失ったのであった。

映画公開がはじまったので見に行きたいところではあるが、そういった様々な想いが重なって少し観にいきづらいし、さすがに一人映画で臨む作品でもないのかな、と二の足を踏んでいる。

私がうら若き乙女であったならば作中の人物の言葉に従って、短い夜が終わる前に行動に移るのだけど、そういうわけにもいかないようだ。

だから、ひとこと祈って終わりにしましょう。

なむなむっ!