方向性を見出したい人生だった
こんにちは、ともみつです。
ようやく三回目ですね。
早くも語彙力というか気力がなくなってきました。
難しいものですね。
多少、妄想癖があったようでして。
いや、まだあるようです。
人と話をしているときとか、人にすれ違ったときとか、ひとりでなにかしているときでも、そう。
スーッと意識がどこかに飛んで行って、なにか勝手にストーリーが描かれるようなときがある。
あの感覚なんだろうな、集中力がないだけなのかな、などと思っていましたが振り返ればただの妄想でした。
もう、そうでした。
でもどちらかというと、妄想というよりは、先読み、予測、に近い理論の飛躍であるかな、と。
これが、こうすれば、こうなって、こんなことになってしまうのでは!?
などと、思考だけが進むのです。
たいていはその通りにならない様にいたしますから、結果として妄想になるわけです。
いやいや違う。
私は預言者だったのだ。
予言は100%の的中率であるから、そうすれば、そうなる、その逆をとれば100%実現しなくなるから結果としてあらゆる危機を回避することができて今日まで生き残っているのだ。
そういうことにしよう。
比較的、あらゆる事態を想定し、不測の事態が起きないように行動しているつもりですが、どうにもこうにもトラブルやサプライズっていうのは転がり込んでくるものでして、たいていどうにもならない。
なるようにしかならない。
そうして過ごしてきたのがこのざまですから。
いま私はすごい驚いているんです。
ぜんぜん言葉が出てこなくて。
かつてはもっとスラスラと頭と指が動いて、ただただ打ち続けることができていたのに、いまは全く言葉が思いつかずたびたび立ち止まり考えながら作文をしている始末!
ああ!かつてのわたしの力は!永遠に失われてしまった!!
などと駄文をつなげていくと若干調子が出てきました。
話すようにタイピングしたい性質であるので、かつてはブラインドタッチという、おいおい視覚障碍者をdisてるの?、と苦言が出たタッチタイプをガンガン駆使しているつもりです。
気のせいですね。
低下したなぁ、と感じるのは語彙力というか作文の構成力もそうですが、打鍵速度がなかなかに低下している気がする。
キーボードにまだ慣れていないのかもしれない。
かつてのmixi日記が途絶えた原因も、PCを新調してみたらいまいちキーボードが気に入らなかった、というのも一端のように思います。
会社で支給されるものじゃないんだから、身の丈に合ったものにどんどんローカライズしてオリジナリティあふれる環境にしていけばよいのにプリセットでやろうとしていたの間違いだったわけですね。
型にはまるのは仕事中だけでいいわけです。
この調子で型破りな私生活を目指すもの手なのかもしれません。
自分の人生の充実のためにも。
なんてね。
終わる。