誰もが心に秘める魔法の言葉があるでしょう?
ありとあらゆる物事を「うるせえ、死ね」の一言で一刀両断にできたらば、なんて素敵なんだろう!!
そんなことを思っているうちにえらい間が空いてしました。
毎日毎日作文をし続けて、遥か彼方にあるいは元から潤沢ではなかったはずの語彙力を取り戻す目的で開設したこのブログ?
最終更新が6月30日というのはえらいことです。
最近見かけた例でいえば赤子も調子よければ歩き出すほどの年月です。
※友人の息子が8か月で掴まり立ちを始めたと聞いた。
※筆者である私は独身子なしである。余計な話だ。
土台が無理な思い付きではあったのです。
かつてのあの栄光的な或いは淫行的なそれはまあ脚色であるのだけれど、喫煙せずに増やしたニューロンをアルコールの過剰摂取によりぐちゃぐちゃにかき混ぜてそこからガラケーあるいは自宅のPCでガタガタと日がな毎日長文のmixi日記を書いていた、あの頃のタイピング能力と駄文吐出し能力をどうにか取り戻せないものかと始めたわけであります。
それはまあ自分で言えば思いついた言葉をある程度は周囲に気を払い添削して書きなぐったものでありますから時間にしては一時間もかからないモノではあったわけですが友人からは「長すぎてコメントがむずい」「面白いが長い」などと称賛とも侮蔑とも受け取れる暖かき言葉をもらったりもらわなかったしていたのです。
あの頃はおそらく幸せだったのだろう!
老人は言う、昔はよかった!!と。
かつての私は20歳前後の青年で、大学生で、あまりにも暇と欲望を持て余し、金がない金がないと思いながらろくにバイトもせずにサークルの部室で何世代か前のゲーム機で時間と若さを浪費していたのである。
やはり浪費というものは気づかない故の快感もあり、それはそれは素敵だったのだろう。
取り返しがつかない以上は素敵であったと言い聞かせるほかはない。
過去はない。未来しかないのだ。
だから私が過去の語彙力を取り戻す!毎日作文する!!というのもそのときその瞬間の思いを吐き出しただけのものであって、確固たる信念があったわけではないのである。
結果論だが、泥船で海を渡ろう!!、というような極めて無謀な行為であったのだ。
あのときはああいったが今はこうだからこうなので、それはまあ言った言わないの範疇ではあるのだけれど、最後には声を大にして言いたい。
「うるせえ、死ね」
ただそれだけである。
次回も気が向いたら書くはずだ。