取り戻せ語彙力

ちかごろ語彙力の低下を感じるためにリハビリと修行と暇つぶしと現実逃避のためにやってみんとしてするなり

映画「JOKER」を観た。直前にダークナイトとバットマンビギンズも観た。

増税に怯えて割と大きめの44インチサイズのモニターを買い、以前より持っていたAmazon fire TV Stickを接続したところ、起動から動画につながるまでの速度が爆発的に上がり、そこそこ映画を観ている。

兼ねてより気にはしていたが視聴はしていなかったいわゆるアメコミ系のDC作品を観始めた。
ダークナイトバットマン・ビギンズを視聴した。
あとから調べると順番は逆だったようだが、なんて切ないストーリーだろうか、とマーベル作品ばかり見ていたからハッピーエンドになるとかそうじゃなくても救いがあるのかと思いきやそんなことはぜんぜん無くて勝手な正義感でごくごく狭い地域であるゴッサムをどうにか救済するという作品の人気に比べてなんて狭い世界での話なのかと驚いた。
それでいて救いのない、暗く、重い世界観とストーリー。
デップーがバカにしていたのもよく分かった。

そんな作中で悪のカリスマながら屈指の人気を誇る、JOKER。
僕自身も風評だとかそのデザイン性はかなり好みで、どこかでじっくりと彼を知る機会はないかと思っていたところで、今回の映画「JOKER」の公開があり、この度念願かなって観ることができた。

さて、JOKERである。
今作での彼の名前はアーサーという。
アーサーといえばアーサー王伝説が想起される。
が、王の名を冠していながら彼の生活は真逆の道化、ピエロを生業としている。
結婚はせず、中年で病気に苛まれた母の世話をしながら暮らしていた。
嘘はつかないが、精神疾患か作中描写では外傷による脳疾患で笑いが止まらない、病気むしろ怪我だが笑うべきではないところで笑ってしまう。
ただそれだけで周囲には気味悪がられ、生きにくさが生々しく描かれている。
その症状というは性格ではなくて明らかに後天的な身体障害なわけだが、他人には要因なんて関係なく、ただただ気味悪がられるだけ。
惨めみじめに描かれるなかで、かなり単純な力を手に入れる。
それが本国アメリカで物議をかもしている拳銃なわけだ。
別に望んだわけではなくたまたま手に入れたそれが文字通りに引き金になって、彼はJOKERへの歩みを進めてしまう、進んでしまった。
アーサーのような貧困に陥っているひとは現代社会では、いや、いままでもそしておそらくこれからも存在していて、そちら側に居ないひとはフィクションと感じていて、そちら側に居るひとは非常に強い共感を得て、現実にもJOKERを求め、あるいは自らがJOKERになろうとしてしまうかもしれない。
さて、JOKERは悪なのか。
こちら側から見れば紛れのない悪だが、あちら側から見れば正義の執行者だ。
立場によって、正義と悪はぐるぐると目まぐるしく入れ替わる。
よくある話だ。

それだけに非常に影響力があるのだろうな。
良い映画だった。
善悪で言うと明らかに悪の話なのだけども、よい、興味深い、話だった。
また観たいような二度と観たくないような。
いろんな感情が働く物語だった。