取り戻せ語彙力

ちかごろ語彙力の低下を感じるためにリハビリと修行と暇つぶしと現実逃避のためにやってみんとしてするなり

いつの間にかに5月を迎えていたよね。自粛続きで滅入っている。

3月に記事を書けなかったと投稿した前回の記事が4月唯一の記事になってしまって、原因は何かな?と考えるとどうぶつの森を買ってしまったことだろうな、と合点がいったところです。

世間は緊急事態宣言に伴う外出自粛状態で、こんなフィクションの中の出来事ような世界に自分が放り込まれることになろうとは夢にも思っていなくて、いや夢には思っていたけども現実になってみるとこんなにも不都合で不利益で不安に陥ってしまうのだと、虚空を眺めて過ごし時間が増えてしまいましたね。

以前より、予てから、遡りますると中学生ごろから暇が欲しい暇が欲しいと思い詰めることが時々ありまして、一歩引いてみればものすごく暇な時期もチラホラとあったわkですが、いざ願っていた暇が訪れるとなにをできるわけでもなくただただ時間を浪費をしてしまうだけで、あっという間に忙しい日常に舞い戻ってしまうわけです。
そんな人生を細々続けていたところに舞い込んだ現在です。

さて、学生さんはわかりやすく休校で本当に暇を持て余してしまっているだろうし、かといって遊び惚けるにも行動に制限がかかるし金銭的な制限はもっと強いし、つまるところは勉強くらいしかできることがないかもしれないけど、それをしたところでどの段階で活かせるかがわからないし、自学自習だなんてよっぽどまっすぐな熱意がなければなかなか続かないものですから本当に途方に暮れているんじゃないかと。
僕自身は言われた勉強は素直にするけど、それは人の目がある場所だから、半ば強制的だから、そういったときしか発揮できないものですから、学力で言うと塾に通っていた中学生のときはそこそこだったけども、高校進学して塾通いがなくなると授業くらいでしか真面目に勉強しないし授業だけで完璧に物事を理解できるような頭でもなかったからそこそこに学力については低空飛行していましたね。
かわりに部活は少し力を入れて、まあ指導が良かったのだろうけども、地区大会くらいならば入賞させてもらったりで、その線で推薦の話もあったようななかったような。
それそれで目指す専攻とは違ったから、適当に勉強をして当時少し興味のあった分野の大学に進学させてもらったんだけども、そもそもの適性がないのかもしくは大学に良い意味でも悪い意味でもマッチしきれなかったのか、学業でなにか特別なことをなすことはできなくて、それでも単位はフツーに取れたから卒業自体はできた。

では、就職活動はどうかというと、まあこれが酷いものだったわけで。
世は第二の就職氷河期だとかなんとかマリオブラザースみたいな会社がぶっ潰れて、夏前には売り手市場だったのが買い手市場になってしまって、就活講座に来ていたリクルーターが「来たねぇ!不況!!」とか状況が状況なので半笑いで聴いていた思い出。
そこでまあ、反骨心とか確固たる方向性とか持っていればよかったのだけども、そういうわけでもなくて、エントリーシートやら履歴書やら面接やらちぎっては投げちぎっては投げられ、特に何も見定まらないままに大学卒業を迎えたりしたわけだ。
いまでもよい思い出とは言い切れないあの頃。

そこから紆余曲折あっていまの会社に潜り込み、そこから10年くらい務めているわけだけども、それはそれでひとところにずっと居続けると思うことも多々あるわけで。
このままでいいのか、ここで定年過ぎまで続けられるのか、身体は持つのか精神は持つのか、満足しているのか、不満があるのか。
じゃあ新しい場所を求めるか、確実性はあるか、この場所を捨てるほどの理由があるか、決断できるのか、ただの逃避ではないのか。
思いは募るばかり。

どうしたいのか、どうすることもできないのではないか、そんな心持ちである。

いま、業界や待遇によっては雇用形態勤務体系の切り替えで対応できるところもあるが、どうにもならず流されるままに悪いほうへ悪いほうへと突き進むしかないひとたちもいるわけで。
自分がどの立場にいるか、振り返ると、このさきとてもやっていけないようにも思えて、すこし嫌になる。

すこし嫌。
この気持ちのズレがどんどん振り子ように大きく大きくなっていくように思えて、このまま行きたくはないけど、受け身の私だから。
良い方向へ動くには行動するしかないが、はてできるのだろうか。

すこし悩んでいる。