取り戻せ語彙力

ちかごろ語彙力の低下を感じるためにリハビリと修行と暇つぶしと現実逃避のためにやってみんとしてするなり

勘違いとか思い込みとかについてハッと気づくときがあるとかないとか。

すっかり暑くなってきて夏の香りがしてきましたが世は自粛、緊急事態ということで、開放的に感じる気候に対して開放的に行動できないことに焦りとか悔しさとかそういったものを感じますね。
そうでもないかも。

さて、趣味というものがあってそのおかげで人の個性が成り立っている。
一昔前、24時間働けますか?、というキャッチコピーがはやったころはとにもかくにも働いて働き続けて稼いで稼ぎ続けることが美徳だったようだけど、いろいろと効率化が進んだ反動もあってわかりやすく稼ぐ方法というのは潰えてしまって、ほどほどに仕事をして余暇に趣味を楽しむことが美徳となってきた。
少なくとも僕の手の届く範囲では、だ。

遊ぶ金欲しさに労働に手を染める。

インターネットにおけるジョークの一つなわけだけど、なかなかに的を得た言葉だ。
仕事=趣味なんてひとは僕の観測範囲ではそんなにいないんだ。
クリエイティブ職だとまた違うんだろうけども、そういうひとだって仕事と趣味は分けているはず、だ。

それはそれとして趣味について。

一つの事柄に熱中すると熱中しすぎると、マニアだとかオタクだとか、言われることがある。
何の因果か、そういった言葉はネガティブな印象を僕は持っていて、おおっぴらに自分が〇〇マニアだとか××オタクだとか吹聴できずに過ごしていた。
なにか恥ずかしく感じていたということもあるし、実際には自分が何の分野にも詳しくないとわかっていたから名乗れずにいたのかもしれない。
分野や物事に対する劣等感だったのかビビっていたのか、論じて看破されたこともないのに論じることすら恐れていたのではないか。
そうこうして三十余年あまり生きてみるとなんとも半端な人間だなぁと少しく悲しみを覚えたり。

まあそれはいいんだ。

僕自身は人に感化されやすく素直に受け入れすぎてしまう部分もあるから、趣味といえるものにはいろいろ手を出している。出しすぎている。
そういったさまざまな趣味の中で、自分発信で続いているものというと、読書・特に漫画、音楽鑑賞・特に邦ロック、ということになる。
趣味に優先順位などなくて、どれも大事にしてればいいんだけど、無意識に順位付けをしていて、僕は僕自身のことを、音楽好きの漫画オタクと認識していた。

ところがところがところがだ。

自分の行動を顧みるにつれ、行動力・資力・時間を費やしているのは音楽ではないのか!?とふと思い至ったのだった。

それがなにか重要なのか?
まったく重要なことはない。
僕個人の個人的な勘違いか思い込み。
それについての解が急に出てきてしまったから備忘録としてここに残しておこうとしただけ。
ただそれだけのことなんだけど、ここ10年以上自分のことを勘違いしていたな、と衝撃を受けたのでした。

自分自身のことすらわからずに他人のことなんて理解できないのだろうな。
なんてね。