取り戻せ語彙力

ちかごろ語彙力の低下を感じるためにリハビリと修行と暇つぶしと現実逃避のためにやってみんとしてするなり

芸術が金にならなきゃとっくに廃れているということに当時の僕は気づかなかったわけだ。

すでにネタ切れの感が否めないんですけど、それでもまあこれは作文というかアウトプットというか考えをまとめたり書き出すための練習か下敷きになると思うので適当に続けるわけですよ。

音楽は好きですか?

僕はまあそこそこに好きでそれなりに聴いたり歌ったりするんですよね、
たしなむ程度に?
それなりに?

楽器もやろうかなーと思ったりしてギターを買ったけどいい置物になっています。
高校生の時に買ったからもっとガンガンやってみれば日本武道館を満杯にするような人にもなれたのかなぁ?ってアラサー通り過ぎた今もときどき思ったりしますね。
思うだけですが。

音楽も何も興味ねぇ~といった幼少期?幼時から小学生低学年くらいには習いものをたくさんしていて、思い出せるのがスイミングとスポーツクラブと習字とピアノ教室でしたね。
昔からあんまり頑張り屋さんではなかったので、スイミングに行った後は爆睡してスポーツクラブいけなかったりその逆だったりで、距離の近いスポーツクラブを残してスイミングはやめてしまったので、小学生あたりであんまり泳げなくなったのは良い思い出。
そのうえで子供ながらに習い事が多すぎると意見したのか家庭の事情か、習字かピアノを辞めるという話になってなぜかピアノを辞めたんですよね。
いま思うと明らかにピアノを続けていたほうがその後の人生が楽しかったような趣味趣向なんですけど、物心つく前のことだからよくわかりませんね。
スポーツクラブは年齢制限が終わるまで、習字は塾通いを始めるだかで辞めてしまいましたね。

幼少期の習い事、総じて活きていない気がするんだけど、なんだったんですかね?
情操教育?親のエゴ?
まあ、その辺はいいんですけど。
頭脳が豆粒だったころの話ですから、自分で始めたんじゃなくて親に言われたから始めたんだと思うけど、辞めるときは自分で言いに行けと指示された記憶が鮮明に残っていますね。
やはり別れの言葉は寂しいもので「辞めます!」って言ったときの先生の寂しげな顔がなんとなくうすぼんやりと脳裏にあるわけです。
20年くらい前のできごとだから半分創造みたいなものだろうけど。
でもまあ、それがどっかに根付いているのか何かを始めるのも終わらせるのもいまいちできない人になってしまいましたね。
「やめたいなー」と思っても続けてしまったり、「はじめたいなー」と思っても手つかずだったり。
終わるときは相手の都合だったりで、あーそっかあ、みたいに終わるのです。
一方的に自分が傷つけられていると気づくのはもう少し先の話ですね。

そういったことでなにか新しいことを始めたいと少しだけ思う。
そんな刺激をくれた漫画がありまして。

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 ブルーピリオドといいます。
すっごいあらくまとめちゃうと、「リア充、美術に目覚める」というお話です。
ひさびさに蘊蓄たっぷりの専門漫画を見つけたので非常に楽しんで読ませていただいてます。
また美術というのがね、よいですね。
作中に「選択美術とるやつなんかサボリとオタクしかいねーよな」というセリフがありましてね。
高校時代に選択美術を取った僕はビクッとしたわけですね。
オタクではあったけども、選択美術は楽しかった。
中学時代も高校時代も美術の授業は楽しかった。
あれー?と思いながらやったデッサンも「男子同士で描きなよ!」と急にペアの女子に逃げられた油絵も楽しかった。
過去を振り返ると、小学生のときの図画工作の授業にまで戻るんですけど、なにかを組み立てるのは楽しかった。


でもまあ、あの頃の僕というのはいま以上に視野が狭くて、美術だとか絵だとか工作だとかではお金にならない!と頭の中で決めつけていて、フツーの授業のほうが大事だろうなとフツーの授業にも力を注ぎきれないくせに思っていたわけです。
それでいろいろ空回りを続けて今日至るわけです。

あのときああすりゃよかったな、と日ごろ思うわけです。
どうせこうなるならもっと好きなことやっときゃよかったな、なんてね。
誰に強制されたわけでなく自分で選んできたくせに。
そういう人生を過ごしてきたひとにこの漫画がえらい刺さるわけですね。
ええ、おすすめです。

絵画教室にでも行ってみようか。