取り戻せ語彙力

ちかごろ語彙力の低下を感じるためにリハビリと修行と暇つぶしと現実逃避のためにやってみんとしてするなり

映画「ロケットマン」を観た。なんでそうなるの?キラーチューンばかりだ。

外出自粛で映画館も自粛なのでAmazonプライムに観ようともって観に行き損ねていたロケットマンが来ていたので観たのでした。

そもそもは主演がキングスマンタロン・エガートンとのことで、キングスマンゴールデンサークルの公開ごろに予告編がやっていただかで興味を持っていた気がします。
いや、ボヘミアンラプソディーの公開のころだったかな?
そうです、ミュージシャンの自伝映画ということです。
題材になったのは、エルトン・ジョン

正直あまり詳しくなくて、それこそキングスマンゴールデンサークルに本人が本人役で登場した際に歌唱してくれた、Saturday Night’s Alright (For Fighting)で(劇中では木曜日だったけど)で、ようやく認識があった程度だったんだけども、いやこれがすごいかっこいいんだ。
そこから気にしていたところで、タロン・エガートンが演ってくれるというならば観るしかないといった感じでいたのに劇場公開は逃しましたね。不思議です。

この辺から中身について?

 さて、自伝的作品ということで、ボヘミアンラプソディーがバントQUEENないしフレディ・マーキュリーにフォーカスしたように本作はエルトン・ジョンの幼少期から現在に至るまでを映画化したものになります。

まあ、複雑な、家庭環境で?
というよりは両親が不和があったもののそこをつなぎとめていたのジョン自身の存在だったわけですが、母にしても父にしても子供であるジョンを責任感とか義務感のみで育てていたようでそこに明確な愛情というのはなかったようで、本来は無償の愛を注いでくれるはずの両親から疎ましく思われていて、それはジョンが音楽の才覚を示したときでも変わらず、なんともつらい幼少期を過ごすわけで。
実際、音楽の才能は溢れんばかりでそこに養父によるロックの勧めなんかもあって、まずはバックバンドとして音楽生活を始めるわけですが。
その後、本格的に音楽で生きていくぞ、と思い立った際にフレディもそうだったように、改名するんですよね。
この頃はそういう人が多かったのかな、名前と過去を捨てて、新たななりたい自分になる、という意思で本当に改名までしてしまうわけだから、いい意味でフラットに悪い意味では後ろ盾をすべて捨てる、と。
こういったハングリーがなければ当時はいけなかったのかな、なんて思いました。
日本も最近は本名で頑張っているミュージシャンが多いですしね。

まあ、そういったところで、作詞家のバーニーとコンビを組んで飛ぶように売れていくわけですが、そこは高みに到達したものにしかわからない孤独に陥ってしまうわけですね。
自身のことが良く分からなくて、異性愛者と振舞って、女性と婚姻して破局してみたり。

結果的にジョンは同性をパートナーとするんですけど、生来の同性愛者ではなくて、幼少期に父から愛情を得られなかったことで、そちらに傾いたのかなと思ったり。バックバンド時代もメインのミュージシャンと交際?していたりもしたし、そのあとも下宿の女主人と付き合ってみた後にばれて追い出されたりしているし。
まだ自分で自分がわからんかっただろうな、と。
その辺の葛藤もあって、冒頭からセックスドラッグアルコール依存症だ、だなんていいながら矯正施設のヒアリング会からはじまるんだからすごいですよ、これ。

なりたいものがあって、改名までして、なりたいものになったはずが、求められ像がと良すぎて、それに振り回されてしまったような印象を受けました。
それで、なんていったて本物のスターなわけですから、舞台裏・日常生活でどんなに追い込まれていても、ステージに立ったらスターとして、エルトン・ジョンとして、振舞わなければならないわけで。
ただの一個人として振舞うには影響力を持ちすぎてしまったわけで、つぶれてしまったのかな。

が、エルトン・ジョンのすごいところは、そこから立ち直ったことですね。
矯正施設から復活し、その後も精力的に活動し、同性のパートナーを見つけて養子も貰って?育児にも至ると。
どん底から立ち直って、真の家庭まで手に入れて、本当に素晴らしい。

こんな素敵な人を亡くしてしまったのだな…と一瞬思いましたがラストのヒストリーで、現在行っている世界ツアーを最後に興行を辞めて育児に専念することとした、と」出て、おおまだぜんぜん最前線で活躍してる!いける伝説だ!!と少し笑ってしまいました。

良い作品でした。
爆音でどこかで観てみたいなあ。そこまで演奏シーンはないけどもミュージカル気味ではあるから楽しめると思う。