取り戻せ語彙力

ちかごろ語彙力の低下を感じるためにリハビリと修行と暇つぶしと現実逃避のためにやってみんとしてするなり

映画「風の谷のナウシカ」を観た。人生で何度か劇場でジブリは見ているけどいまになって旧作が上映ってんなら行かなきゃでしたよね。

コロコロしているため自粛していたけど、情勢的に守るべきルールを守れば可ということで、風の谷のナウシカを観てきました。

何度目だナウシカ、と揶揄してもまともに通して観たのは幼少期くらいでしたから、大画面大音響で腰を据えてみるのは初でしたからドキドキしながら観ていました。

感想として一番大きいのは、「ナウシカつよすぎない?」、ということ。
冒頭の父を失って怒りに身を任せて他国の兵士を撲殺する流れに驚いてしまった。
兵士の皆さんも若い娘が飛び込んできたことによる躊躇があったのかもしれないけど、それにしたって、殺すことに躊躇がない。
この子がヒロインで行くの?殺人の業って昨今の作品ではかなり重く書かれるんだけど…古い作品だから命の重さが割と軽いのか。いやそんなことはないんだけど。
これ以上人が死ぬのは見たくないと、言う言葉はひっくり返すと殺そうと思えば殺せるとも取れるわけで。
それは、風の谷の姫という群衆の指導者であるから、指示をすれば風の谷の民は殺しに行って殺して死ぬ、そういう意味だ。
また単に個としての強さも怒りに任せた結果、簡単に人を殺せるだけの素質が自分にあるとわかってしまったために出てきた言葉なのだろうな。
殺した結果としても自身の持つ殺しの力に気づいてしまったのかなぁ、と。
ナウシカは単純に強い。

そこでアンバランスに感じるのは腐海と虫への興味。もうこれは愛なんだろうな。
虫に魅入られていたか、と回想で語られるわけだけどそこからずっとナウシカは変わっていないんだろうなと。
たまたま姫として生きる必要があったからあれだけ人のために動くことができたわけで、ナウシカがただのナウシカであれば虫に傾倒した人として生きていたように感じる。
性格だとか価値観というのは、個としての追求していった部分と周囲の環境に追及されていく部分があって、そこのいびつさがナウシカを悩ませているだろう。
もちろんそんな一面は、誰にも見せないんだけど。みんなが心配するから、とは作中でも言っていた。

魅力的には感じない、ただただ恐れを感じた。

 

さて、対極的に描かれるべきだったのが、クシャナ殿下だ。

殿下、である。
ナウシカ同様にトルメキア?の王族であることは呼称から判断できる。
装飾からもその国において高位の存在なのだとうかがえる。
が、だ。
もっとおぞましいものを観るだろう、というように映画の中では少なくとも左腕は義肢であることがうかがえる。
作中において、生身で描かれた四肢は右腕だけであるから両の足も義肢なのかもしれない。
生まれ持ってのものなのか、腐海の毒にやられたのか、はたまた戦火によるものなのか。
身体的にしても欠陥があるのがクシャナだ。
指示する隊からは慕われているようには見えるが、さて本国での扱いは?
巨神兵の卵の回収だなんて最前線も最前線であって、王族で彼女が派遣される意味合いは?
軍事国家であるから前線に赴くことに意味があるのか、四肢に欠損がある身であるから前線に行かされているのか、はたしてどちらなのだろう。
参謀であるクロトワが平民出であるということは、彼がとても優秀か逆に平民出が参謀を務められる部隊ということなのか、どちらであろうか。
クシャナの身の振るまいから考えると…。
というより、すでに本国はないのかな。
ガンシップ一隻に撃墜される大型輸送機なんて最たるものかも。
もうアレが、あの輸送機だけが国であり国家であったりして。だったら嫌だな。
ペジテの残党がトルメキアは終わりだ!といっていたのだ侵攻軍ではなくて本国を無視でつぶしたという意味だったのか。いやまさかそんな。

 

ギミックに世界観も、感心することばかり。
直近でメイドインアビスを観ていたから、腐海の様子は失礼ながら「アビスだー!!」と思ってしまった。
虫にしたっていんすぴれーしょんがビリビリ来る感じでいろんな作品に影響を与えていることが明白で良いよなぁ良いよなぁ、と思いながら見ている間のあっという間の時間でした。
青き衣をまとっている理由もよくわかってなかったんだけど、見返したおかげでようやく理解しました。体液で染まるとは…。

ほかにもいろいろ感想あるんだけど、長くなってきたのでここで締めますね。
次は、ヴァイオレットエヴァーガーデン鬼滅の刃の予定です。
アニメが増えてきたね。