取り戻せ語彙力

ちかごろ語彙力の低下を感じるためにリハビリと修行と暇つぶしと現実逃避のためにやってみんとしてするなり

熱量っていうのは最高に達した瞬間がやっぱり最高でそこから先は冷めていくだけなのかもとか。

だいたい月に1回くらいは長々と頭の中のこととかを書き出してみたいと思いながらも刹那の空想妄想発想は一秒にも満たずに霧散して悲惨な現状から導き出される窮状は休場明けの力士のように必死で球場を駆け回る球児のような必死さとはまた別の良さがありますよね?

8月が終わってしまって9月になったようです。
自粛自粛で最後の花火もなかった今年の夏は終わるようで終わらなくて、気温が明確な理由のない設定温度28℃を下回ればまあまあ涼しく感じるほどには暑さにもなれましたね。
日本の四季は死んだ、日本式は死んだ。
西の魔女も東の魔女も東西南北中央の魔女も死んだかもしれない。

いろいろ数字が安定してきて、でも気も緩め切るわけにはいかなかくて、一億総チキンレースみたいな感じ。
それでもやりたいことやるべきことはたくさんあって取捨選択の末に訪れる結果にビクビク過ごしています。
幸か不幸か、いまのところ大事無い。

歳を重ねて、得る責任というものが仕事上でしかなかったりして生きやすいようで人生としては寂しいような丁度よいような。
自身に求められることがどんどん大きくなって、それに合わせて自身の能力や思考が素直に成長しているかというと、水面の波紋のように広がっていけばいいのだけど、実際のところはほったらかしの樹木のように明るいほうに無節操に広がっていくばかりで、剪定できずに眺めているだけで、一部を観れば美しいけど全体を観ると極めていびつで、選定しなきゃなあ、と鋏を持ってみるけど、どこが必要でどこが不要で自分の目で見る姿と他人の目に映る姿の評価が一緒かというとそうでもなくて。

岐路に立つことが増えたけど、帰路がない感じ。
いやはや選択に伴う結果に振り回される経験というのは十代二十代のときにもっとやってくべきだったなと思うばかり。

もっと秋めいてこないかな。