取り戻せ語彙力

ちかごろ語彙力の低下を感じるためにリハビリと修行と暇つぶしと現実逃避のためにやってみんとしてするなり

映画「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を観た。ブーゲンビリアの木の下で。

気になっていたところで再放送が始まりなんとなく録画しておいたところでメッチャ推しの作品なんですよとひとに言われたので、細々と消化している間に劇場版の公開が決まり、じゃあ観に行こうかと駆け足に全部見て各話ごとにホロホロと涙していた中で総くくりとなる劇場版を観たら死んでしまうのではないかと、観に行きました。
開始5分で泣くという評判に違わず、本編前の劇場版鬼滅の刃の予告から泣いていました。

では、本筋に。

 まとめだったりするのかな?と舐めてかかりましたら素直な続編でして。というより完結編といったところ。
放映版でもハッピーエンドに終わったわけですが、劇場はトゥルーエンドというもので、真の幸せがヴァイオレットちゃんに訪れたのでした。

お話のはじまりは、放映版最終話から、一世紀後くらいからはじまったのかな?
僕が放映版でいちばんボロボロと泣いてしまった9話のアン・マグノリアの孫であるデイジーが、アンの母から50年にわたって届いたアンへの手紙を見つけたところから始まるのです。
デイジーの生きる時代は技術が十分に発達して、電話も各家庭にあるし、読み書きも誰もができる時代であり、手紙を書く人もずいぶん減ってしまって、自動手記人形は廃れてしまっていたのでした。
祖母への手紙を50年分も代筆した、郵便会社・自動手記人形、そしてヴァイオレット・エヴァ―ガーデンはどんなひとだったのだろう?、とここで時代は本編に戻ります。

ついに死に公式行事の代筆までこなすことにあったヴァイオレット。
賛辞の言葉も得るが、戦争で多くの命を奪った自分には根底のところでその資格はないと言い放つ。
仕事を続けて、感情を獲たことで理解したことで、却って過去の自らの行いに縛られることになった、気がしてホッジンズともども、悲しくなってしまいます。
それでもいまだにギルベルトに貰った言葉の真意を理解するため、あるいは最後の命令を果たすため、仕事に明け暮れる日々を過ごす、ヴァイオレットちゃん…。
そこでふたつのでっかいことが起きて、ものすごくよい終わり方をするんですが、そのあたりは自分の目で確かめよう…!ということで。

以下、きになったところとかを箇条書きしておこうかな。

●ディートフリート大佐がデレすぎててよい。すごくよい。ギルベルト中佐との軋轢も一歩引いてみればよくある兄弟の仲違いで、その点を顧みれたのもよかったし、劇場版で登場するユリスの身の上にオーバーラップでよかったなぁ。きょうだいは仲良くしたいものです。

●この子誰だー?劇場版で新キャラー?とよくみたらアイリスでしたね。髪が伸びていてわからなかった。放映版では髪を切って過去とサヨナラって上京したのにここで髪を伸ばしているのは過去を受けて入れて今を生きていくという意思が出ているのかな。すごくよい。終盤も活躍してくれたし。よかよか。

●保護者面のホッジンズおじさんはヴァイオレットの養育をしたせいか、彼個人の男性としての幸せという部分では満たされていない部分がある。劇場版でそこの懸念材料というか彼のいちばん優先すべき事項がすべて解決されたので個人の幸せに邁進してほしい。いつか娘が息子ができたらといった言葉もあったしね。

●カトレアはどうなんだろう?郵便社でいちばんの古株。プライベートは描かれないし、すべての調整役に収まってしまっている。さて、彼女個人の幸せは?ホッジンズに向いてるの?よくわかんない。幸せになってほしい。

●ベネディクトは良く名前覚えてなかったんですけど、こんな料理みたいな前だったのかお前。将来的に郵便社は国に吸収されるけどそれまでに副社長になれたのかな?作中で唯一?欲望に忠実に向き合えている感があるため、求めたもののほとんどが手に入るといいね。

●エリカ、いちばんうまくいったのかな?劇場版の博物館のおばあちゃんはこのひとか?いや年代的に当時の人はもういないのか?劇場版ではうまくいっていたからそのあたりかなっているといいな。
●いろいろあって雨の中を走るシーンがありますが、放映版で貰ったあの傘はつかいませんでしたね。途中まで持っていたけど、お出かけの時は持って行かなかったんだよね?というか日傘だったか。

そんなところかな。
みんな素直になれてよかったね、というのがおおまかにまとめた感想です。
やっぱりハッピーエンドなんだよ。

しあわせになりたいですね。