もう9月だな
はてばぶろぐを勢いで開設したのはいいのですが、かつてのmixi日記をブイブイ言わせていた頃のようにはなかなか続かないものですね。
例えもなにもかも古い…ッ!!
かつては身内向けの妙な日記を真顔で淡々と毎日書いていたのですけど、あの情熱はいったい何だったんでしょうね?
いま思うとなかなかに不思議なものですわ。
ぼくがmixiを触り始めたことは招待制SNS!!という時代でしてそもそもSNSも起こり始めた頃であったように思います。
そのような新鮮味と学生自分の持て余した時間の注ぎ先として立派に活用できていたのでしょうかね。
断筆、というと大げさな言い方になりますが連続更新というかmixi日記を辞め切ったのは大学卒業したころなんですよね。
就活やらなんやらで暗黒期をいよいよなんにもならずに大学を卒業することになり、もうmixi日記も卒業じゃ!!
と当時の僕が思ったのかは覚えていないんですけど、環境が変わるといままで平然と続けられていたことが急にできなくなるということはよくある話で。
ぼくもそんなよくあるひとりになっただけなのでしょうね。
幼き頃には覚えていたはずの全能感はいつ間にか失われるのでした。
あのころのぼくらは無敵だった。
ところが敵がいることに気づく。
そのうえ容易には倒せない敵だとも知る。
その繰り返しでこんなにも弱くなってしまった。
挑戦することも減った。
昔はなにもかもが挑戦だったのに。
いまは勝ちも負けもない。
そんな穏やかな生き方をしたいと思っている。
ところが世間は勝ちや負けであふれていて、日々のその繰り返しである。
なんともまあ辛い。
しかし、痛みは慣れるものですからそのうちなんとかなるでしょう。
なんとかが良い方向か悪い方向かはさておいて。
明日はよいことがあるといいですね。
こうして出逢ったのも、何かの御縁
5年ぶり?6年ぶりか?
数年ぶりということで、濁しておこう。
しかし、あれは私が学生時分であったからおおよその時間の特定はできるというものだが、時間どうでもよい。
ただ昔ということにしておこう。
かつて買った本を数年ぶりに読み返し、読み終えたのだ。
書名はなんとなく伏せるが、タイトルでピンとくる方はピンとくるだろうし、それはそのままその通りその小説で合っている。
これまた時節柄、再び話題になってくるであろうから、検索してこの駄文にたどり着く方がいたとしたら申し訳ない限りである。
ただ駄文と自ら言い切る以上、好き勝手に書かせていただく所存である。
私が作る文章に読み手の感情はさして影響を及ぼさないからだ。
話を戻そう。
この小説は私が学生時に発行されて、内容よりもまず表紙が目に入った。
その表紙は私がいま現在も愛してやまないロックバンドのジャケットをてがけているイラストレーターが描いたものであって、透き通るような肌の女性を中心にごちゃごちゃとしているはずが整然と見えるようにモノが散乱しつつもまとまっているという特徴があるイラストが得意なひとである。
ロックバンドのみならずイラストも好きであったから手に取った。
そして、表紙に続けて感銘を受けたのはタイトルである。
有名な詩の一説をインスパイアした、いや、本歌取りというのか?
そのタイトルは一瞬にして私の心奪ったのである。
さて、中身を読めば、私が想いだけは持ち続けている古都・京都の学生の物語というではないか。
これはもう購入せざるを得なかった。
読み進めていけば、ただひたすらに外堀を埋めることに注力し、想いを寄せる女性の後姿ばかりに詳しくなる思い切りのないくよくよした男がから回しし続けているではないか。
ああ、これは、わたしのことではないだろうか。
積極的な行動一つで、スピーディかつ簡潔に結果を得られるはずなのに、それはするには時期尚早とただひたすらに遠回りと策を弄して外堀を埋めるのはさぞかし骨の折れることであるし、外堀埋めている間にひょいっと堀を越えていく男もいる中で、なんとばかばかしいことか。
あのころの私には思い寄せている乙女がいた。
ような気がする。
いや、居なかったかもしれない。
とはいえ、外堀を埋めることばかりに時間をかけて本丸に手をかけることもなく散っていった日々は多数経験したように思う。
いや、気のせいかもしれない。
だがしかし、不思議な感情移入のまま読み進めて、その読後感たるやなんともいえぬ心地よさを私に与えてくれたのだ。
当時の私は成人仕立て。
そんな中で「こうなれたらなぁ」などと思いを巡らしたのだ。
それなりに過去の話であるからおそらくという範疇を出はしないが。
そうして、乙女を手に入れた私は省エネなど出来ずに薔薇色の日々をてにいれるはずであったが、リーマンショックやなにかで灰色になった就職活動にかけられた拍車で薔薇色さえも失ったのであった。
映画公開がはじまったので見に行きたいところではあるが、そういった様々な想いが重なって少し観にいきづらいし、さすがに一人映画で臨む作品でもないのかな、と二の足を踏んでいる。
私がうら若き乙女であったならば作中の人物の言葉に従って、短い夜が終わる前に行動に移るのだけど、そういうわけにもいかないようだ。
だから、ひとこと祈って終わりにしましょう。
なむなむっ!
誰もが心に秘める魔法の言葉があるでしょう?
ありとあらゆる物事を「うるせえ、死ね」の一言で一刀両断にできたらば、なんて素敵なんだろう!!
そんなことを思っているうちにえらい間が空いてしました。
毎日毎日作文をし続けて、遥か彼方にあるいは元から潤沢ではなかったはずの語彙力を取り戻す目的で開設したこのブログ?
最終更新が6月30日というのはえらいことです。
最近見かけた例でいえば赤子も調子よければ歩き出すほどの年月です。
※友人の息子が8か月で掴まり立ちを始めたと聞いた。
※筆者である私は独身子なしである。余計な話だ。
土台が無理な思い付きではあったのです。
かつてのあの栄光的な或いは淫行的なそれはまあ脚色であるのだけれど、喫煙せずに増やしたニューロンをアルコールの過剰摂取によりぐちゃぐちゃにかき混ぜてそこからガラケーあるいは自宅のPCでガタガタと日がな毎日長文のmixi日記を書いていた、あの頃のタイピング能力と駄文吐出し能力をどうにか取り戻せないものかと始めたわけであります。
それはまあ自分で言えば思いついた言葉をある程度は周囲に気を払い添削して書きなぐったものでありますから時間にしては一時間もかからないモノではあったわけですが友人からは「長すぎてコメントがむずい」「面白いが長い」などと称賛とも侮蔑とも受け取れる暖かき言葉をもらったりもらわなかったしていたのです。
あの頃はおそらく幸せだったのだろう!
老人は言う、昔はよかった!!と。
かつての私は20歳前後の青年で、大学生で、あまりにも暇と欲望を持て余し、金がない金がないと思いながらろくにバイトもせずにサークルの部室で何世代か前のゲーム機で時間と若さを浪費していたのである。
やはり浪費というものは気づかない故の快感もあり、それはそれは素敵だったのだろう。
取り返しがつかない以上は素敵であったと言い聞かせるほかはない。
過去はない。未来しかないのだ。
だから私が過去の語彙力を取り戻す!毎日作文する!!というのもそのときその瞬間の思いを吐き出しただけのものであって、確固たる信念があったわけではないのである。
結果論だが、泥船で海を渡ろう!!、というような極めて無謀な行為であったのだ。
あのときはああいったが今はこうだからこうなので、それはまあ言った言わないの範疇ではあるのだけれど、最後には声を大にして言いたい。
「うるせえ、死ね」
ただそれだけである。
次回も気が向いたら書くはずだ。
いけない!もうこんな時間!!
こんにちは、ともみつです。
シンデレラって魔法が解けたときの被害がでかすぎるのに結構余裕もって王子様と踊っていた感がありますよね。
生れて始めたの幸せな時間を少しでも長く感じようとしていたのでしょうか?
謎です。
さて、そんなわけで現在時刻は23時を回っており、まさにシンデレラ気分なわけですよ。
別に日をまたいでしまったとしても、機械の表示が続かなくなるだけで気持ちの上では連続更新だと言いきれるんですけど、そこはかとなく気持ち悪さを感じると思うので、そこは意地を張っていこうと思います。
さてさて、ここまで追い込まれた理由はひとえに仕事がとても忙しくて今しがたようやく帰宅できたから、ではなく、趣味のあれやこれやをやっている間にこんな時間になってしまったわけです。
何の趣味か。
ロードバイクです。
ええ。
昨今、道路上で邪魔な存在ランキングを急上昇中の乗り物です。
か弱いわりに速度だけはいっちょまえに出る乗り物なので、そこはかとなく危険な存在なわけですよ。
なので、長々走ろうか~、というときは辺境の道を目指していくんですけど、どうしても幹線道路を走ったりすることもあるのですよね。
そういったときはいつも以上に気を付けているのですよ、わたしなんかの弱小ロード乗りはね。
平和平和で生きたいものです。
僕なんかは自分勝手なので、自転車に乗っているときは自動車が邪魔だし、自動車に乗っているときは自転車を邪魔に感じています。
身勝手ですかね。
しかしまあ、そういうエゴの押し付け合いが人間という生物の生き方なのではないでしょうか。
うん、急に大局的なお話になってしまった。
終わりましょう。
方向性を見出したい人生だった
こんにちは、ともみつです。
ようやく三回目ですね。
早くも語彙力というか気力がなくなってきました。
難しいものですね。
多少、妄想癖があったようでして。
いや、まだあるようです。
人と話をしているときとか、人にすれ違ったときとか、ひとりでなにかしているときでも、そう。
スーッと意識がどこかに飛んで行って、なにか勝手にストーリーが描かれるようなときがある。
あの感覚なんだろうな、集中力がないだけなのかな、などと思っていましたが振り返ればただの妄想でした。
もう、そうでした。
でもどちらかというと、妄想というよりは、先読み、予測、に近い理論の飛躍であるかな、と。
これが、こうすれば、こうなって、こんなことになってしまうのでは!?
などと、思考だけが進むのです。
たいていはその通りにならない様にいたしますから、結果として妄想になるわけです。
いやいや違う。
私は預言者だったのだ。
予言は100%の的中率であるから、そうすれば、そうなる、その逆をとれば100%実現しなくなるから結果としてあらゆる危機を回避することができて今日まで生き残っているのだ。
そういうことにしよう。
比較的、あらゆる事態を想定し、不測の事態が起きないように行動しているつもりですが、どうにもこうにもトラブルやサプライズっていうのは転がり込んでくるものでして、たいていどうにもならない。
なるようにしかならない。
そうして過ごしてきたのがこのざまですから。
いま私はすごい驚いているんです。
ぜんぜん言葉が出てこなくて。
かつてはもっとスラスラと頭と指が動いて、ただただ打ち続けることができていたのに、いまは全く言葉が思いつかずたびたび立ち止まり考えながら作文をしている始末!
ああ!かつてのわたしの力は!永遠に失われてしまった!!
などと駄文をつなげていくと若干調子が出てきました。
話すようにタイピングしたい性質であるので、かつてはブラインドタッチという、おいおい視覚障碍者をdisてるの?、と苦言が出たタッチタイプをガンガン駆使しているつもりです。
気のせいですね。
低下したなぁ、と感じるのは語彙力というか作文の構成力もそうですが、打鍵速度がなかなかに低下している気がする。
キーボードにまだ慣れていないのかもしれない。
かつてのmixi日記が途絶えた原因も、PCを新調してみたらいまいちキーボードが気に入らなかった、というのも一端のように思います。
会社で支給されるものじゃないんだから、身の丈に合ったものにどんどんローカライズしてオリジナリティあふれる環境にしていけばよいのにプリセットでやろうとしていたの間違いだったわけですね。
型にはまるのは仕事中だけでいいわけです。
この調子で型破りな私生活を目指すもの手なのかもしれません。
自分の人生の充実のためにも。
なんてね。
終わる。
存在しないものを取り戻すことが可能なのかという是非
こんにちは、ともみつです。
ついにブログも第二回です。
まさかこんなに長く続くことになるとは思ってもいませんでしたね。
しかも二日連続、連続更新です。
これは昨日までの自分や明日の私には達成不可能な偉業であり、今後もしばらく塗り替えられることはないことでしょう。
明日、もしも、更新が達成できたとしたら前人未到の記録になることは一目瞭然です。
当ブログに限っての話ですが。
さて、表題の件に戻りましょう。
このブログのタイトルは仰々しく「取り戻せ語彙力」と銘打っています。
お気づきになられましたか?
そうです、まるで、かつて自分に語彙力があったかのような言いざまになっているのです。
果たして、過去の自分が、語彙力、といわれる力を持っていたかというと、正直な話、疑問が生じるわけです。
自分がいちばんPCに向かって思うままに作文をして語彙力を発揮していた時期といえば、古くは中学時代から高校半ばごろまでの、小説をパチパチ売っていたころにさかのぼります。
あの頃の僕はといえば、魔術師オーフェンだとかスレイヤーズだとか魔法戦士リウイだとかキノの旅だとか、いわゆるライトノベルに一番触れていたころで、ライトノベルを食べながら京極夏彦のレンガ本をぺりぺり読んでいるという非常に文の趣味として不安定な頃でありました。
またお金も持っていないものですから、あの、かつてのインターネット黎明期の個人運営のテキストサイトだとか小説サイトだとか日記サイトだとか、日がな毎日、読みふけっていたように思います。
高校に入ってからは部活の比重が増えて、PCやネットは暇つぶしに成り下がり、いったんタイピングからも遠く離れたような気がします。たぶん。
これが第一期。
その後、大学に入学しまして、某SNSでこいつどんだけ日記書いてるん?
といった事態に陥るわけです。
ご存知でしょうか?
当時はまだ招待制で運営されておいた日記公開SNSがあったことを。
mixiっていうサイトなんですけどね。
あのころ大いに盛り上がって、調子に乗ってたら勢いがなくなり、ウリであった招待制を登録制にしてみたりだとか足あと機能を改悪してみたりだとか実名登録が売りだったのに匿名登録を推しはじめたりだとか、ちょっと妙な舵取りにおぼれた後にモンストだとかのアプリで奇跡のV字復活を遂げたサイトです。
そんな全盛期のmixiでうら若きともみつさんはやたらと毎日日記を書いていました。
だいたいがただの日記なんですが、着眼点が狂ってるだとか、毎日寝る前に更新してるのに飲み会がある日には飲み会前に日記が更新されているだとか、妙なマメさで恐ろしく更新し続けていました。
書き忘れると心配されるくらいになっていたように思います。
それでいまサラッとmixi日記を見てみたところ、大学在学中卒業NEETあたりまではほぼ毎日、就職一年目くらいまではまあまあ書いていたみたい。
社会人二年目から仕事の疲れからか徐々に病んでいく様子と日記更新回が露骨に減っていくさまが垣間見られてすごい怖かった。
誰の日記?怖すぎる!?
終末期に友人と会ったときに「ともみつの日記は病んでるからなー」と言われて、当時の僕は不思議そうな顔をしたものですが、いまの精神状態で読むと病みを感じます。
といったことで、mixiはじめてろくにやらなくまるまでが第二期ということになるかな?
それで異動したらあまりにも暇になりすぎて、全職場とのギャップで二年ほど何もしたくなり、その時期を乗り越えて、今日に至る感じですかね。
わたしはいきかえったのだ!!
さて、本題ですか。
語彙力、というものがかつての私の中に存在していたのか。
おそらく、ええ、大変おこがましいですが、あったように思います。
少なくとも今日も自分よりは。
曲がりなりにも毎日毎日、自分の思考を記憶を文章化し、吐き出していたわけですから。
あの頃のようになれるとは思えないけど、リハビリがてら続けていきたいですね、ブログ。
そのうち日記になったり、感想の書きなぐりや、備忘録になるとは思っているし、そのつもりではあるけれど、しばらくはただただ思いついたことを吐き出していこうと思います。
ええ、ええ。
取り戻せ語彙力。
取り戻せ語彙力
こんにちは、ともみつです。
インフォの通りですけども、自分の語彙力の低下がすさまじいように思えてしまって、なんだかとてもつらい時がありますので、ここはひとつ修行というかなんというかとりあえず書き出してみましょうよ!と思い立った次第です。※すでに語彙力のなさが表れている!!
思い至るまでに時間がかかりすぎてなんでこんな深夜に記事書いてんだこのバカ!!って具合ですけど、そこはご愛敬ってやつですね。
趣味と思い付きと日記がてら雑感がてら備忘録などに使っていこうかなと思います。
といったところで、最近の癖で「~と思います」などと願望系の言葉を発したら、「そううまくいくかな…(物陰から姿を現す」と返すというのがあるのですが、いま脳裏で知らない誰かが、そううまいくかな?、と言いながら姿を現してきました。
果たして、そううまくいくのだろうか。
とりあえず明日の終業後にでもまた書きましょう。
かしこ