取り戻せ語彙力

ちかごろ語彙力の低下を感じるためにリハビリと修行と暇つぶしと現実逃避のためにやってみんとしてするなり

何もしたくない感じなったけど何もしないのもなんなので書く。

平日を頑張ると土日が死ぬし、土日を頑張ると平日が死ぬマスネ。
歳を取ったものだなぁ、と。
根本的な体力というのは個々人の努力でカバーできるものでしょうけど、そのあたりの時間を知らず知らずのうちにあるいは意図的に削ってすり減らして、気づかずに弱弱しくなっていくものかもしれませんね。
三十も半ばで暗い!

十代二十代の肉体的な強さというのはやはりあるのかなぁ、と過去を振り返ってみると、べつに当時も三日三晩寝ずに動き続けられるとかは無かったので根本的な部分はべつに変わっていない可能性も?

というより回復力か。
肉体的な回復力が弱まるのは感じますか。
しかし基本的に頑丈だから大病もしないしリスキーなこともしないので怪我もしないし、肉体的には極めて健康なのにいったい何が不良なのか、と。

天候のせいなようなそうでもないような。
雨が続いている。
昨日今日と天気が大荒れで雷もなりましたら故事に従えば梅雨は終わって夏が来る予定。

本格的な夏。
照りつける太陽、湧き上がる感情。
が、世情として明るいほうへは向かわずにどこか閉塞的な印象を覚えますね。

それでも祭りはやってくると、ぼちぼち東京オリンピックが開催される様子。
埼玉県民なので何日か前に市内も聖火ランナーが走っていきましたね。
平和の祭典みたいでよいよね、という話と、世情的に人が集まってしまってはどうなの、とダブルスタンダートというか二枚舌というか二論か二極化というか。

そうは言っても、梅雨は終わるし夏は来るし五輪は始まるし、なにかしたいよな。

なにをすればいいやら。

祖母が骨になりまして。

落ち着いてきたので備忘録として書くとする。

同居の祖母が急性心不全で亡くなりまして、急なことではあったものの、御年87歳のアラカン世代ですから、まあしかたないよなと意外に冷静に対処してしまって、自分のドライさが出てしまったなぁと痛感したような再認したような妙な気持ちで過ごしていましたが、だいぶん生活も落ち着いてきました。
もともと口数少ない人で、うちの一族のひとらしくフラフラと好きなことを好きなようにマイルールでやっていたからお互いの生活への干渉は少なかったわけで、今日に至ってもあまり生活が変わらないのが不思議というか当然というか。
ひょっこり出てきていつものようにバカでけー音量でリビングのテレビを占拠して大声で素っ頓狂な感想を叫びだしそうなイメージがあります。
とか言っていると救急車の音が外から聞こえてきましてビクッとした。
数週間前アレがうちに来て祖母を積んで出発したわけで、少しドキドキしてしまいますね。

仔細を書くと、夜中にいきなりさ、と流行り歌のように22時過ぎ風呂上りもう寝ようかなと思っていた時に祖父がドタバタとリビングにやってきまして。
何騒いでんだ騒々しいと思っていると開口一番「ばあさんがやばい」みたいな語彙力ゼロな表現で、これはただごとじゃないなと母ともども様子を見に行けばもう顔色まっちろなばあさんがぐったりしていた。
こりゃ即救急通報だろうと思いながらもかかりつけ医にいったん電話して指示を仰ぐとやっぱり救急車だということで119番通報して、どうあがいても外出だなとその場は母に任せて着替えに自室に戻ると、階下から母の呼び声、戻ってみるとすでに呼吸が止まっているばあさんおよび119番の指示を聞きながら慌てている母と。
電話先の人いわく「救急隊が着くまで心臓マッサージをしてくれ」と。
電話を替わって、指示に従って通話をスピーカーに切り替え心臓マッサージを行ってみる。職場で救急研修を受けていたので意外にすんなり動作には入ったんだけど、胸が5センチくらい沈み込むように!と言われてその通りにやりますよ。人体ってこんなに沈むんだなぁ、たぶん肋骨バキバキ逝ってるな、と意外に冷静な記憶。ネットだとドラえもんの歌とかアンパンマンマーチのテンポでとか話を見たけど、実際に呼吸が止まっている人を前にするとそういう思考はなくなりますね。
そのまま蘇生措置なのかとどめなのかよくわからないまま救急隊が届くまで心マ続けて、救命士さまがたと交代。
わたわたしている間に搬送先が決まったので、母を同乗者として救急車は出発。
近くに住んでる姉と甥っ子をたたき起こし、近場の兄には連絡して、祖父姉甥を積んで、病院へ。
救急の待合室には母がいて、現在処置中だと。
近場のおじさんといとこもなんとかやってきて、一同で待合室でじっと待つ。
そうこうしている間に処置が済んだようで、お医者さんから説明を受ける。
「生き返ったという状態になります」「心マとか蘇生措置が速かったのが良かったですね」「ただ心マで骨が折れたりで血管がわちゃわちゃしてるのでCTなんかじゃ原因が特定できませんがおそらく心筋梗塞」「とはいえ自発呼吸はしておらず人工呼吸器です」「強心剤で心臓を動かしているから薬の効果が切れたりすると再度心臓は止まりる可能性が高いです」「同じ処置で同じ状態に戻すことはできるかもしれませんが、動かしている状態ですからもう一度心臓が止まった際にどうするかは決めてください」「ここ2,3日を超えれば持ちこたえるかもしれませんが無呼吸状態の脳へのダメージから意識が戻る可能性は低いと思います」
などと、暗に生き続させることはできるけど、それが幸せかはわかりません、みたいな話を実際に言われるとはな。
最終判断は70年近く連れ添った祖父に、ということで再度の蘇生措置は行わない、と。
そこでいったん待合室に戻り、あとは病室を探すというので、この時点でお眠の甥っ子と姉兄は帰宅させ、残った人らで待つ。
しばらくしたら人が来て「病室が決まったので、運び込む前にお顔を見れますよ」、と。「逆に言うと病室に運び込んだ後はコロナ対策で1名ないし介添えの2名までしか対面できません」というので、処置室でいろんな管に繋がれた祖母を眺める。
気が済むまで眺めた後に解散した。
この先長くなるんかなぁ、と帰宅したのが深夜3時くらいだったかな?
気ぃ抜けてツイートでもしているかと持ったら熊対策のRTをしていた。なぜ?

3時間くらい寝て、職場に連絡はしていたけど期限ヤバめなのがあったのでちょっと顔出して指示して即帰宅。
したらすぐさま病院から連絡が来て、祖父と母連れて病院行くもICUでコロナ対策で二人しか入室できませんというから、ひとり待合室で待つ。
ほどなくして二人が戻ってきて、亡くなった、と。

早かったな。
正味12時間も病院の世話にならず、ピンピンコロリという感じで逝ってしまった。
そのせいか葬式まで一週間うちにいて毎日顔を眺めて、火葬場で骨になって、これは僕がおった肋骨かなぁ?と骨壺に詰めた今もそこまで現実味がない。
じょじょに実感がわいてくるのかこのままなんとなく受け入れていくのか。
よくわからない。
死って突然で受け入れがたいものなんですね。

あとは葬儀前後もバタバタしたので備忘録したいんだけど身内ネタがどうしても増えるので内緒にして秘密の日記帳にでも書きましょうね。

 

最後に、R.I.P.祖母。
あの世でも自由にしておくれ。

 

ああ、ビックリした。

歳を重ねるごとに経験やら知識やらが増えてきて驚くことが減ってきますよね。
ところがそれは自身が手の届く範囲の出来事にしか手を出していないだけで、世の中にはまだまだ知らない世界や驚きで溢れているから、刺激を感じないのは自らの行動力が落ちているだけだったりして。
これが老化か。
いや、そんなことはない、はず。

この雑記は映画を観たらできるだけその日のうちに感動が薄れる前に書こうと思っていたのですがどうしてなかなか。
雑記をさぼっている間に、TENET、ともはや社会現象となり果てた、鬼滅の刃劇場版、を観たりしました。
こそこそと出かけている。
どちらも素敵だったのですけども、衝撃とか理解の範疇を超える部分があったのであわあわしているうちに11月になってしまいましたね。
ああ、ビックリした。

とはいえ、それはフィクションの世界ですから何が起きてもよいんですけどね。
現実にそこまで影響がない。
しかしながら、フィクションとはいえそれにどれだけ時間を費やしたかと振り返ると、人生に自身に生き方に考え方に影響を与えないはずがない。
というのは好きな漫画の1シーンですね。
あれは良い漫画なんですよ。ああなりたかったようなまだなれるような。

 どっちが出展だったか忘れたけど、どちらも熱いので良かったお読みください。
ゲーム屋さんの話です。作るほうの。
スクエニとか任天堂じゃなくて、レベルファイブとかHAL研究所とかのほう。

ああ、ビックリした話自体はここに書かないんですけど、仕事休んでいたおかげでサシで重要報告を受けてびっくりしたという話です。
いやあ、ビックリしたな。
11月でいちばんびっくりした。

あまり年寄りを驚かせてはいかんよ。

映画「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を観た。ブーゲンビリアの木の下で。

気になっていたところで再放送が始まりなんとなく録画しておいたところでメッチャ推しの作品なんですよとひとに言われたので、細々と消化している間に劇場版の公開が決まり、じゃあ観に行こうかと駆け足に全部見て各話ごとにホロホロと涙していた中で総くくりとなる劇場版を観たら死んでしまうのではないかと、観に行きました。
開始5分で泣くという評判に違わず、本編前の劇場版鬼滅の刃の予告から泣いていました。

では、本筋に。

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熱量っていうのは最高に達した瞬間がやっぱり最高でそこから先は冷めていくだけなのかもとか。

だいたい月に1回くらいは長々と頭の中のこととかを書き出してみたいと思いながらも刹那の空想妄想発想は一秒にも満たずに霧散して悲惨な現状から導き出される窮状は休場明けの力士のように必死で球場を駆け回る球児のような必死さとはまた別の良さがありますよね?

8月が終わってしまって9月になったようです。
自粛自粛で最後の花火もなかった今年の夏は終わるようで終わらなくて、気温が明確な理由のない設定温度28℃を下回ればまあまあ涼しく感じるほどには暑さにもなれましたね。
日本の四季は死んだ、日本式は死んだ。
西の魔女も東の魔女も東西南北中央の魔女も死んだかもしれない。

いろいろ数字が安定してきて、でも気も緩め切るわけにはいかなかくて、一億総チキンレースみたいな感じ。
それでもやりたいことやるべきことはたくさんあって取捨選択の末に訪れる結果にビクビク過ごしています。
幸か不幸か、いまのところ大事無い。

歳を重ねて、得る責任というものが仕事上でしかなかったりして生きやすいようで人生としては寂しいような丁度よいような。
自身に求められることがどんどん大きくなって、それに合わせて自身の能力や思考が素直に成長しているかというと、水面の波紋のように広がっていけばいいのだけど、実際のところはほったらかしの樹木のように明るいほうに無節操に広がっていくばかりで、剪定できずに眺めているだけで、一部を観れば美しいけど全体を観ると極めていびつで、選定しなきゃなあ、と鋏を持ってみるけど、どこが必要でどこが不要で自分の目で見る姿と他人の目に映る姿の評価が一緒かというとそうでもなくて。

岐路に立つことが増えたけど、帰路がない感じ。
いやはや選択に伴う結果に振り回される経験というのは十代二十代のときにもっとやってくべきだったなと思うばかり。

もっと秋めいてこないかな。

映画「風の谷のナウシカ」を観た。人生で何度か劇場でジブリは見ているけどいまになって旧作が上映ってんなら行かなきゃでしたよね。

コロコロしているため自粛していたけど、情勢的に守るべきルールを守れば可ということで、風の谷のナウシカを観てきました。

何度目だナウシカ、と揶揄してもまともに通して観たのは幼少期くらいでしたから、大画面大音響で腰を据えてみるのは初でしたからドキドキしながら観ていました。

感想として一番大きいのは、「ナウシカつよすぎない?」、ということ。
冒頭の父を失って怒りに身を任せて他国の兵士を撲殺する流れに驚いてしまった。
兵士の皆さんも若い娘が飛び込んできたことによる躊躇があったのかもしれないけど、それにしたって、殺すことに躊躇がない。
この子がヒロインで行くの?殺人の業って昨今の作品ではかなり重く書かれるんだけど…古い作品だから命の重さが割と軽いのか。いやそんなことはないんだけど。
これ以上人が死ぬのは見たくないと、言う言葉はひっくり返すと殺そうと思えば殺せるとも取れるわけで。
それは、風の谷の姫という群衆の指導者であるから、指示をすれば風の谷の民は殺しに行って殺して死ぬ、そういう意味だ。
また単に個としての強さも怒りに任せた結果、簡単に人を殺せるだけの素質が自分にあるとわかってしまったために出てきた言葉なのだろうな。
殺した結果としても自身の持つ殺しの力に気づいてしまったのかなぁ、と。
ナウシカは単純に強い。

そこでアンバランスに感じるのは腐海と虫への興味。もうこれは愛なんだろうな。
虫に魅入られていたか、と回想で語られるわけだけどそこからずっとナウシカは変わっていないんだろうなと。
たまたま姫として生きる必要があったからあれだけ人のために動くことができたわけで、ナウシカがただのナウシカであれば虫に傾倒した人として生きていたように感じる。
性格だとか価値観というのは、個としての追求していった部分と周囲の環境に追及されていく部分があって、そこのいびつさがナウシカを悩ませているだろう。
もちろんそんな一面は、誰にも見せないんだけど。みんなが心配するから、とは作中でも言っていた。

魅力的には感じない、ただただ恐れを感じた。

 

さて、対極的に描かれるべきだったのが、クシャナ殿下だ。

殿下、である。
ナウシカ同様にトルメキア?の王族であることは呼称から判断できる。
装飾からもその国において高位の存在なのだとうかがえる。
が、だ。
もっとおぞましいものを観るだろう、というように映画の中では少なくとも左腕は義肢であることがうかがえる。
作中において、生身で描かれた四肢は右腕だけであるから両の足も義肢なのかもしれない。
生まれ持ってのものなのか、腐海の毒にやられたのか、はたまた戦火によるものなのか。
身体的にしても欠陥があるのがクシャナだ。
指示する隊からは慕われているようには見えるが、さて本国での扱いは?
巨神兵の卵の回収だなんて最前線も最前線であって、王族で彼女が派遣される意味合いは?
軍事国家であるから前線に赴くことに意味があるのか、四肢に欠損がある身であるから前線に行かされているのか、はたしてどちらなのだろう。
参謀であるクロトワが平民出であるということは、彼がとても優秀か逆に平民出が参謀を務められる部隊ということなのか、どちらであろうか。
クシャナの身の振るまいから考えると…。
というより、すでに本国はないのかな。
ガンシップ一隻に撃墜される大型輸送機なんて最たるものかも。
もうアレが、あの輸送機だけが国であり国家であったりして。だったら嫌だな。
ペジテの残党がトルメキアは終わりだ!といっていたのだ侵攻軍ではなくて本国を無視でつぶしたという意味だったのか。いやまさかそんな。

 

ギミックに世界観も、感心することばかり。
直近でメイドインアビスを観ていたから、腐海の様子は失礼ながら「アビスだー!!」と思ってしまった。
虫にしたっていんすぴれーしょんがビリビリ来る感じでいろんな作品に影響を与えていることが明白で良いよなぁ良いよなぁ、と思いながら見ている間のあっという間の時間でした。
青き衣をまとっている理由もよくわかってなかったんだけど、見返したおかげでようやく理解しました。体液で染まるとは…。

ほかにもいろいろ感想あるんだけど、長くなってきたのでここで締めますね。
次は、ヴァイオレットエヴァーガーデン鬼滅の刃の予定です。
アニメが増えてきたね。

ひさびさに酩酊した記録

いろいろあってひさびさに酩酊するほどお酒を飲んで帰ってきまして。

帰巣本能は高いため、どこまで酔いが進んでいても帰ろうと決めたらキチンとベッドまではたどり着けるタイプです。

しかしながら自宅に帰りつくまでが限界でそのままベッドに転がり動けずに数時間寝ているような寝ていないような状態で電気も消さずに意識が飛んだり戻ったり、そうこうしている間に学生時代まで記憶が飛んだり戻ったり。

夢か現かわからないままかの人と話をしたり単なるフラッシュバックだったりが巡っていき、ああアルコールって幻覚作用もあるんだな、と感じたりしなかったり。

かつてのどうでもいい日々がいまになって幸せな日々だったのだと思えたり、単によかった思い出だけをなぞっているだけだったり。

判別はつかないのだけど、酔いが覚めて目も覚めて、胸の内に残るのは、あのことはよかったなぁ、という気持ちで。

あまりパッとしない最近だけど、よかったよなぁ、と思える過ごし方もできていたんだなと気持ちよくも思ったり。

これからも良いことが起こるといいなぁ、としばらく酒を控えようと思う。